山中信夫

没年月日:1982/12/14
分野:, (洋)

 美術という枠組そのものについて再考し、斬新な活動を続けていた山中信夫は、ニューヨークにおいて現地時間12月14日、敗血病のために客死した。享年34。1948(昭和23)年3月20日、大阪府に生まれ、69年多摩美術大学油絵科に入学する。大学紛争により、同年、同大学は全学封鎖され、山中はこの中で美術家共闘会議を結成し、70年より「美術史評」の同人となり同誌の編集にたずさわる。同年、多摩美術大学を除籍される。71年、第1次美共闘REVOLUTION委員会に参加し、1年間美術館、画廊の使用を中止する。同年、多摩川の川面に川の流れを撮った16ミリ映画を映写する「川に川を写す」という作品を発表し、注目される。72年、第2次美術史評社に参加。同年ピンホール・カメラによる作品を発表する。74年、第2次美共闘REVOLUTION委員会に参加し、1年間制作・発表を中止するが、翌年より活発に個展を行ない、ピンホール・カメラによる作品を展開させる。76-77年パリに、79-80年ブラジルに住む。82年パリ・ビエンナーレに出品して好評を得、パリ、ニューヨークでの個展が決まり、その下見の為に渡米中の客死であった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(289頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月15日 (更新履歴)
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