本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
六月十六日 火 九時一寸過ニ杉氏ニ逢つて貸家一件の断を云つた 十時半頃ニ出懸けて先づ天真道場を見舞ひ久米の処で留守を食ひ上野の美術学校へ行きギメからの手紙ニ付ての話を剣持氏ニ逢つてきめて仕舞つた それから精養軒ニ這入つてめしを食ひ後池の端を少し歩いた 此時の暑さハ実ニ非常 橋口に寄りしばらく話し又清秀の内へ行て長話をした 直とお榮さん丈だつたが話て居る内ニ清秀も帰つて来た 帰る時ニ大雅堂の画と南溟の画を持て帰つた 其代りとして夜内の掛物を八幅程贈つた 夜九時頃から母上と赤阪の地蔵の縁日に行き草花など買つて帰る 今夜座敷の中の蚊は非常だ 寝て聞て居ると怖ろしい音楽をやる
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六月十七日 水 朝菊地がやつて来一度帰つて又昼めしに来四時過まで居た 五時頃ニ合田が来晩めしを一緒ニ食た 溝口兼齋氏も来合せて一緒ニ食事した 食事が済だ処二白尾氏が見へた 同氏ニハ今度基隆から帰つて来られて始めて逢つた 皆去つて仕舞ひ九時過ニ為つて一人のこつて居た合田と出て麹町六丁目迄行き別れて橋口家ニ行く 母上ハ已ニ此処に来て居られた 白尾氏と又出逢つた 十一時過迄居て母上及び清と三人連で帰る 二時過ニねむつた
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六月十八日 木 十一時頃ニ時事の寺山が来て室町時代の文化など云話をして十二時頃ニ帰つた 午後中村へ手紙をだし奴から先日評をして呉れと云て送つて来て居た油画の評を済まして送り返へした 四時半頃から合田の処ニ出かけ田中も一緒ニ三人連で山内の田中の内へ行き植木だの掛物などを見て田中ニ別れ合田と二人で品川ニ乗り込み極静かな穴蔵の様な料理屋で浪もなんニも無いどろつとした海を見ながら酒をのみめしを食た つなみやおばけの話が出た Hana saki と云一の名詞を覚へた 帰りハ汽車とした 新橋で氷をのみ内へ帰つて寝床ニ入つたのハ一時
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六月十九日 金 十時半頃から天真道場の画を直しニ行た これが十二時過迄かゝつた 帰りに一寸磯谷の店に寄る 午後ハずうつと内ニぼんやりして居て建築の図案など考た 夜食後ニ久米がやつて来て一緒ニ出かけ溜池で菊地をさそひ三人で散歩しながら銀座の箱館屋に行て人道の井戸のわきニ椅子を持て行てこしかけて休だ 久米ニ別れて菊地とぼつぼつ歩いて内へ帰つたのハ十二時頃だつた
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六月二十日 土 今朝起て見ると大雨だ おまけニ神鳴がなり上ら 十時ニ宮内省ニ出頭と云次第 従五位が正五位ニ昇進したのだ 昼めしニハいつもの人数ニおしげ お雪を加へた 午後三時から出かけて橋口氏から清秀の処ニ行た 清秀が病気だと云事を昨日聞たから其見舞ニ行た それから四時頃合田の処ニ行たら留守 狸穴ニ行たと云ので其方角ニ行た 都合よく佐野の内の角で出逢つた 其代ニ佐野ハ留守 小代を尋ねたら小代も留守 又久米ニ出逢ひ三人ニ為つた 溜池の処ニ来て佐野と小代ニ逢た 又菊地も見へた 牛鍋をやらかして皆が大ニ勢がよくなり遂ニ出来る丈安上りであばれると云事ニ決し直ニ実行 内ニ帰つてから来て居る手紙など読で一時半過ぎニねる
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六月二十一日 日 晴 今日ハ舟遊の約束が有つたから大憤発で七時半ニ起きた 八時頃ニ合田が来て二人で久米の処ニ行きそれから酒など用意して高輪の船宿ニ行て見たら小代と佐野 岩村の三人ハ已ニ沖の方ニ出かけたそうだ 直ニ船の用意をさして我々も乗り出した 台場の手前で小代等の網船ニ出遭又別れて台場ニ船をよせ水などあび酒を飲だ これより前ニ佐久間がおくれて来て我々と一緒ニ為つた 又網船と一緒に為つて昼めしを食た めしハ小代と佐野が持て来た握飯おかずハ魚の即席料理 網の船ニハ佐久間が乗りうつり岩村ハ我々の方ニ来て別れ別れニ為つて我々ハ三時頃ニ品川の東の石垣の下ニ船をつけて上つた 小代 佐久間の二人ハ夕方近く為つてから来た 充分ニ飲食して色々な物まねで大声を揚げ又夷人ニ通弁の真似をして女郎屋を冷かし大笑し十時四十六分かの汽車で東京へ帰る 小代 佐野ニハ品川で別れ久米 岩村ニハ新橋で合田 佐久間ニハ赤阪見附下でわかれた
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六月二十二日 月 八時前ニ彫刻師小倉惣次郎氏がたづねて来た 十時少し過から上野ニ出かけた 公園の中で青山盈教ニ出遇つた 久米とも一緒に為つて学校ニ行た 岡倉氏ハ勿論森林太郎氏ニも面会 一時半過ニ精養軒でめしを久米と二人で食ひ食事後公園の出口で久米ニ別れオレハ溜池の合田の処ニ行き夕方奴と一緒ニ赤阪見附迄来て別れて内へ帰る 夜食後新二郎の病気見舞をした 父上もおいでゞお目にかゝつた 昨日鎌倉からお帰りなされたのだ 夕方から雨が少し計りポツポツやつて来た 散歩がてら一昨夜のあばれの代の払のこりをすまして来た
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六月二十三日 火 朝合田が来てしばらく話て行た 奴が帰ると間も無く菊地が来た 奴をめしニ引止め二時頃から二人で生巧館ニ出かけねころんで居る処ニ佐野もやつて来て此の二三日の間の愉快の話などが出た 五時過ニ為つて三畳倶楽部を去り合田と紀尾井坂下迄来合田ニ別れて新二郎の処ニ見舞がてら立寄る 父上もお出になつて居た 又吉田 林と一緒ニ為つた 色々な話の内ニ野津誠吾がコレラで台湾で死んだことを聞た 今夜めしニ橋口家で御馳走ニなる約束が有つたから吉田を引張て行て御馳走ニなる 白尾氏も来て居られた
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六月二十四日 水 今日ハ植木屋が来たからアトリエの前の庭の造り直を始めた 其下知などで終日暮らす 今日ハお幾が来て居り又学校帰りニお茂 お雪が来たからめしハ中々賑かだつた 夜食後ハ客の連中ハ帰りオレハ母上と新二郎方へ見舞ニ行き帰りみちニ一寸橋口家ニ寄り十時過ニ内へ帰る 篠塚氏をたのんで松方正作氏ニ一寸した餞別を送つた
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六月二十五日 木 Mes jardiniers sont venus dès le matin. De 10h à 12 1/2h j’ai été corriger les élèves à Tenshin-Dojo, Mon père qui est venu ce matin est resté déjeuner avec nous, c’est-à-dire Maman, Kiyoshi et moi. A 4h je suis sorti pour aller chez Issogaya. J’ai rencontré Koumé chez Gauda. 合田の処でしばらく話をして居り久米ハ帰りオレハ合田 菊地を引張て来て内でめしを食た 佐野もやつて来た めし後ニ散歩ニ出かけた 菊地ハいゝかげんニ一人帰つて仕舞つた 合田ハ引とめた 佐野ニ一時頃ニ別れて合田と二人で溜池のふちを歩いて帰る 時ニハ月ハよし我身の上を思ヘバ甚だつまらず 其処で一種不平の様ナ悲しい様ナ感が起つた
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六月二十六日 金 四時過ニ佐野が来た 先日奴ニ巴里からオレが持て来た彫刻物の写真をやる約束をして置たからそれを取りニ来た 先づ其を渡し一緒に合田の処ニ行き三人で久米をたづね清新軒で晩めし 久米ハ内でめしを食てから来た 四人で銀座を歩て居たら小代と高島と云のニ逢つた それから久米の内ニ行て珈琲の御馳走ニ為る 皆ニ別れて合田と赤阪の地蔵の縁日ニ行た 母上 白尾氏 清 下女某のかたまりニ出遇つた 見附下まで来て合田に別れて帰つた 間も無く内の連中も帰つて来た
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六月二十七日 土 十二時前ニ平岡八郎氏が見へて一緒ニめしを食た 午後杉竹公へやる手紙をかいて直ニ出さした 夜橋口氏ニ行て居たら菊地と能所氏がたづねて来た 散歩がてら麹町から永田町へぬけ菊地の内へよつてラムネの御馳走ニ為つて居る処ニ合田がやつて来た 十一時半頃迄雑談を云て居た 合田ニハ赤阪見附下で別れた 今日も植木屋の下知
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六月二十八日 日 今日ハ随分あつかつた 寒暖計を見たら三十一度ニ為つて居た 今日も植木屋が来て終日仕事をして行た 午後一時半頃ニ合田が来て夕方の四時頃から一緒ニ出て赤阪で髪をつみ山王山ニ登つて茶見世ニ一時間計もねころびそれから菊地をたづね三人に為つて溜池の鰌屋でめしを食ひ隣の裏の家で芸者が一人で三味線をひいたりお念仏を云つたりして居るあハれ千万な処を見た 一時別れて新二郎の病気見舞ニ行き又橋口家ニ一寸立寄り再び合田と一緒ニ為り今度ハ十二時半過ニ見附下で別れた
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六月二十九日 月 雨だから植木屋ハ来ず 九時過ニ長田がやつて来た 十時頃から美術学校へ行き十二時半ニ精養軒へ行く そうすると岡倉氏ニ出遭つた 二時半頃まで食ひながら色々な話をした 久米の処ニ行たら長田がやつて来白百合の葬式の為ニオレが何か画をかくと云事を決して約束した 合田 菊地 佐野の三人がをいをいやつて来た 全体今日ハ三口の岩窟ニ集るはづだつたがこれハおやめニ為つた 菊地 佐野ハ今夜内ニ遊ニ来ると云約束で別れ合田と帰る 合田ニは見附下で別れた 今夜九時過ニ佐野が来て十一時頃まで話した
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六月三十日 火 雨 昨日留守ニ安藤が来てくれたと云事だつたから今日ハこつちから出かけた 十一時半頃ニ向ニ行着き久し振の事だから友達の消息から画の話茶屋の話色々出た 例のレーキハウスニ出懸けてめしを食ふ事と為つた 雨にぬれた柳がフオンニ為り煙の如き上野の山が遠景ニ為り手前ニ明石の被物を被た女とハ色も形も丸で画だつた ゆつくりして湯などニも入り六時前ニ安藤ニ別れて築地へ向つた 今晩ハ花房氏から会の相談で精養軒のめしニ呼バれて居る 行つたら明治美術会の頭株ハ勿論金子堅太郎氏 外山正一氏 辰野氏等が見へて居た 議論ハつまらぬ事計り 又オレハ非常ニ頭が痛く為て来たから一と通り意見を述べて仕舞つて九時頃ニ先ニ一人帰つた
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七月一日 水 晴 十時半頃ニ長沼がやつて来て昨夜の話のつゞきをやつた つまり明治美術会の展覧会ニ画を出せと云話だ 条件次第でハ Oui と云ハなけれバなるまい ça dépend! 一緒ニめしを食た そうして居る処ニ菊地が来安藤が来た 長沼ハ帰つた しばらく立つて小川が会の事を云ひニやつて来た 菊地と安藤ハ一足先ニ出て仕舞つた オレハ小山の方の用をすまし約束して置た山王山ニ出かけた しばらく安仲と話をして居る内ニ合田と菊地がやつて来た 四人で色々評議の末何春とか云鳥料理ニ行つた 此処の神さん菊地のむかしの知人で大層取り持つ積ハよかつたが四人の処ニ氷ハ三杯丈出したのハ可笑かつた 遂ニ芸者 Yonehati etc を呼で散々悪つくちを云ふ事と為つた 料理屋を出てからぼつぼつ歩いて小林萬吾を引出し京極迄行つた 安藤ニ別れ帰りニ箱館屋で休息
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七月二日 木 晴 夕方から少しポツポツ 今朝和田英作つゞいて岡田三郎助の二人がやつて来た 午後天真道場ニ画を直しニ行た 又三重の藤島へ学校の助手ニならぬかと云事を云てやつた 五時頃ニ小代が来た 一緒ニ出て合田をたづねたら留守 菊地ハ額縁屋ニ行たとの事 直ニ行て見たら居らず 佐野の処ニ行たら此処ニ居た 其処で四人ニ為り麻布のいろはで晩めし 溜池ニ又走つた 菊地ハ途中で別ニなりあとからやつて来た 合田が決心した原因を研究する事と為つたのが今夜の出来事 お蔭で日本でハ西洋ノ道徳ハ丸で通用しない場合が有ると云事をたしかニ知つた 十二時過ニ連中ニ別れて帰る
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七月三日 金 雨 雨で植木屋ハ来ぬ 十一時頃から清秀の処ニ病気見舞ニ行き序ニ橋口家ニも立寄る めしニハ内ニ帰つた 三時頃から出かけ先づ衆議院の奥田氏の処へ名札を置きそれからおぢやる処へも名札を出した 久米 合田 菊地等をたづねたが皆留守で内へ帰つた 今夜ハたつた一人でめしを食た 食後運動がてら菊地の処ニ行き九時半頃まで話し山王山ニ登つて十時を聞き赤阪の方へ下つて堀のふちをぼつぼつ歩いて内へ帰る 中村から大和旅行ノ途ニ上候云々汽車の中ニてと云端書が来て居た 母上ハ此の二三日ハ七丁目ニお泊りだ 今日ハ雨ハ降るしをかしく淋みしい様な日だつた
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七月四日 土 雨 十時頃ニ一寸西園寺氏を訪た処丁度出る処でだめ 序ニ散歩して山王山ニ登つて赤阪の方へ廻つて帰つた 昼めしニ合田が来て佐久間がかいてる今度仏蘭西へやるつなみの画を見ニ来てくれと云ので一緒ニ奴の処ニ行た 合田の兄の田島氏夫婦ニ紹介された 四時半頃から合田とぶらぶら溜池の方ニ来て又山王ニ上つて茶見世ニ一寸休み下つてすし屋ニ這入り菊地を呼ニやり三人ニ為つた すし屋から出てまごまごして居る処ニ久米 佐野の二人に出逢ひ都合五人ニ為り又あとがへつてすし屋ニ入りそれから合田の工場ニ行て借家などの事を十時頃まで話した 久米ハ此処から車で帰つたがオレなどハ又横町の牛屋ニ寄つて牛を少し食つてラムネや酒を飲み又一時間位話した 合田と二人で永田町を通つて内へ帰つた 帰つて見ると杉竹公からサロンのカタローグが二冊と手紙 ブレール・ブルス氏からカランダーシユの画が来て居た 実ニうれしく寝られない様だ
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七月五日 日 晴 合田が十一時頃ニ来て菊地が十二時頃ニ来た 一緒ニめしを食ひ又昨日受取つたカタローグなど見せた オレハかたわら植木屋ノ下知などをやつて四時過まで内ニ居りそれから三人連で出かけ貸家などを冷かし菊地の内へ行き今日奴が新らしく買つた書物棚の中ニ古道具をならべるのなどを見 それから溜池の米福とか云内で鰻を食た 丁度此の家ニ這入つて居た処ニ小代と佐野がたづねつけてやつて来て急ニ又勢がつよく為つた 合田 菊地ハ早く去りオレ等ハ例の如ク運動 十二時過ニ内へ帰る 今朝三重の藤山から承知の返事が来た 今日オレが出てから佐野等と一緒ニ久米やつて来 又夜ニ為つて吉岡それから安藤も見へたとの事
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