本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年6月6日

 六月六日 土 朝吉岡君が美術学校の話を聞ニ来た 十一時頃から天真道場ニ画を直しニ行た 一時頃ニ内へ帰つてめしを食ひ二時半頃から松岡をたづねた 留守で長沼の処ニ行た 間もなく松岡がやつて来た 其処で新旧両派と云事ニ付ての近頃のあらそひの略を話した 松岡 長沼を引出して根津の神泉亭で今日開く白馬会ニ一緒ニ行た 今夜此の会ニ來たのハ都合四十二人 思つたから盛にて皆満足して帰つた Yoshioka, Gauda, Kikuchi et moi nous avons été terminer la soirée dans le quartier de l’Ouest aprés avoir quittés Koume, Shiodaï, Yamamoto, Ogoura etc. à Uyéno-Hirokoji.

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