1904(明治37) 年1月1日
一月一日 金 快晴 暖 九時頃起キ風呂ニ入リ氏神様ニ詣デ後皆々打寄リ雑煮ヲ食フ 東京ニテ歳ヲ取ル事ハ近年ニ珍ラシ 但シ御両親共御旅行中故儀式ノ方ハ極メテゾンザイナリ 年始ノ端書認メ方等ヲシタレドモ大体ハ下山ニ依頼シテ済セルナリ 内ニ上リ込ミシ客ハ直綱 中村勝 大迫経安 岡野ノ四氏ノミ 女子共ハ午後庭先ニテ少シク羽根ツキヲナシ夜ハ歌カルタヲトル 十一時床ニ入ル
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
一月一日 金 快晴 暖 九時頃起キ風呂ニ入リ氏神様ニ詣デ後皆々打寄リ雑煮ヲ食フ 東京ニテ歳ヲ取ル事ハ近年ニ珍ラシ 但シ御両親共御旅行中故儀式ノ方ハ極メテゾンザイナリ 年始ノ端書認メ方等ヲシタレドモ大体ハ下山ニ依頼シテ済セルナリ 内ニ上リ込ミシ客ハ直綱 中村勝 大迫経安 岡野ノ四氏ノミ 女子共ハ午後庭先ニテ少シク羽根ツキヲナシ夜ハ歌カルタヲトル 十一時床ニ入ル
一月二日 土 如前日 今日ハ終日年始状ノ返事書キナリ 又其暇々ニユージエヌ・モンツ著復興期ノ芸術史ヲ読ム 夜女子共ノカルタ採ノ声聞ユ 十二時床ニ入ル
一月三日 日 如前日 今日モ賀状ノ返事ニテ時ヲ費シタリ 其中或ル処ヘ送ルモノヲ幾枚モ書キ損ジドウシテモ出来ズ 遂ニ頭ガ痛クナル程ナリシ 斯ク神経ガセハシナク為ツテ来テハツマラナイ仕事デモダメナモノナリ 不思議ナル現象ユヘ記シ置ク 夜食後白尾君来訪 後皆々カルタ取ヲ始メ拙者読手ヲ申付ケラレタリ 十二時半床ニ入ル 今夜例ノ如ク下道新聞ヲ読ミ灯火ヲ消シタレドモ眠ル不能 再ビ蝋燭ヲツケテ新聞ヲ読ミ遂ニ一時半頃ニ至リタリ
一月四日 月 如前日 今日モ少シクモンツノ芸術史ヲ見タリ 午後三時頃ヨリ橋口家ニ行キ町田 大迫二氏立会ニテ帝国商業銀行ヨリ来リタル人ニ面会シ辺麦酒株券名義書換手続ノ打合セヲナス 六時過帰宅ス 夜食後ハ専ラ手紙ノ返事ニ従事セリ 此ノ仕事モ今日ニテ殆ンド了リタル姿ナリ 十一時頃寝室ニ入ル
一月五日 火 如前日 今朝大分ユツクリ朝寝ヲシテ十時過ニ起キ朝昼兼体ノ食事ヲ済セタル時ハ十一時半頃ナリシ 庭ニ出テ植木室ヲ見ナドシテ居タルニ久米 佐野ノ二人来リ自転車ニテ外出ヲ勧ム 即チ三人連ニテ小石川原町ノ竹澤ヲ訪フ 是レ始メテ新調ノ自転車ニ乗リタルナリケリ 竹澤方ニテ西瓜ノ馳走ニナル 正月ニ西瓜ヲ食ヒシハ生レテ始メテナリ 竹澤ヲ誘ヒ出シ板橋ノ方ヘ回リ雑司ケ谷鬼子母神ヘ出ヅ 此時日暮ナリケレバ此処ニテ名物ノ焼鳥ヲ命ジ飯ヲ食フ 勘定ハ一人前八十五銭五厘ノ割 是レヨリ市ケ谷ヲ通リ内ヘ帰ル 時ニ八時頃也 三人共送リ来リ十一時半頃マデ語リタリ
一月六日 水 少シク風有リ寒サ強シ 午前兼清ノ帰京ヲ待チ居リシニ帰ラズ 正午帰京 書類ヲ持参セリ 直チニ地方裁判所ニ大迫氏ヲ訪ヒ同氏ト二人連ニテ帝商銀行ヘ行キ株券名義書換手続ヲ了シタリ 帝商トノ取引ノ件ハ親類会議決議書ヲ要スル事故後日ノ事トナシ四時頃帰宅セリ 今日午後ヨリ中村来リ居リシ故晩飯後同氏ト語リ又露国芸術ニ関スル談話筆記ノ校合ヲナス 此ノ原稿ハ直チニ小原氏ヘ郵送セリ 十二時過床ニ入ル 今夜中村泊ル
一月七日 木 如一昨日 十時頃皆ト粥ヲ食フ 是レニテ昼飯ハ抜ナリ 今年ニナツテ昨日ノ外ハ一度モ昼飯ヲヤラズ二食ナリ 此ノ仕方ハ時間ノ上ヨリ大ニ便利ナリ 正午頃合田ノ妻君来ル 間モナク京都反物屋来リ座敷ニ見世ヲ張リ四時頃マデ陳列セリ 中村ハ三時頃去リ殆ンド入リ違ニ長原来リ一時間程語ル 夜ハ一昨日以来溜リタル賀状ノ返事ヲ認メ又少シク加留多取ノ読手トナル 十二時床ニ入ル
一月八日 金 如前日 午前十一時頃岩下君来リ合田亦昨日房州ヨリ帰リタリトテ来ル 両氏去リ十二時ニ朝昼兼体ノ食事ヲナス 後櫻井ヲ手伝トシテ Violette ヲ鉢ニ直シ毛髪ノ肥料ヲ施ス 白瀧来リ修善寺旅行中ノ事ナド語リタリ 晩飯ニハ手料理ノ西洋料理ニテビフテキハ上出来 サラドノ菜葉ハ宝亭ヨリ貰ヒタルモノ 夫レニ三□(原文不明)屋ヨリ取寄セタルカマンベール等ナリ 昼飯ノ無味ナリシニ引換ヘタ甘シ 夜復興期画談ノ原稿ノ校正ヲナス 十一時半床ニ入ル
一月九日 土 如前日 午後清秀及ビ大迫経安君来ル 夜合田家ノ誘ニテ照 綱祐 知足ノ三人好学園トカノ催ニ係ル書生芝居見物ニ出懸ク 拙者ハ居残リナリ 閑静ニシテ心地ヨシ 画室ニ於テ画談ノ校正増補等ヲ為ス 十二時頃皆々帰宅セリ 少シク空腹ヲ覚エタルニヨリパン少シ許バタヲ附ケテ食ス 一時頃床ニ入ル
一月十日 日 午前十時頃門岡氏壁紙図案ノ件ニテ来訪 十一時半頃伊藤源来ル 源的ヲ相手ニ食事 此時和田秀豊君来ル 食後ニ面会ス 二時過藤島来ル 四時頃久米 佐野 小代玄関マデ来リ直チニ去ル 自転車ニテ何処ヘカ出懸ケン目的ニテ来リタルモノナレドモ時刻後レタルト空合怪シキナリタルトニテ立チ去リタリ 間モナク源的モカヘル 即チ藤島ヲ留メテ晩飯ヲ共ニス 藤島去リテ後台湾ナル横山壮ヘノ手紙ヲ書ク 今晩地学協会雑誌ヲ受取リタル返事ナリ
一月十一日 月 晴 少シク風アリ寒シ 午後黒田乾商用ノ為メ上京シタル由ニテ来訪 夕刻大迫君来リ共ニ食事ヲナス 午後ヨリ夜ヘカケ仏国ブラシエヘ与フル書状ヲ書ク 本日北浜銀行支店ヨリ金三百円借入ル 昨年後半期ニ於テ為シタルト同一方法ニ因ルモノニシテ即チ郵船利子配当ノ折返却ノ約束ナリ 十一時半頃床ニ入ル
一月十二日 火 晴 午前九時頃ヨリ電車ニテ出勤ス 本年始メテノ出勤ナリ 途中ニ一時間ヲ費セリ 帰途東照宮前ニテ久米 岡田ニ逢ヒ暫ク立話セリ 藤 長 中ノ三人ト鳥又ニテ食事 後皆連レ立チ中村ノ家ニ行キ夫レヨリ団子坂ノ古道具屋ヲ門並ニ冷カシ林町ノ長原君ノ家ニ到ル 此処ニテ色々ノ美術品ヲ覧夕刻マデ語ル 中村ト二人ニテ駒込ヨリ本郷ヘ出 上野ニ来リ忍川ニテ食事ス 八時半頃中村ニ別レ又電車ニテ帰ル
一月十三日 水 四時頃ヨリ雨ニテ暖カシ 午前渓街翁来ル 午後吉田苞氏郷里ヨリノ土産物持参来訪 夕刻合田来ル 本日ハ午後ニ於テ少シク早稲伯ノ肖像画ヲ描ク 是レ今年ニナリテ始メテノ仕事ナリ 夜食後合田ト明治座ノ書割見物ニ出懸ク 芳翠翁ハ勿論磯谷 白瀧 北 湯浅ノ面々居合セタリ 又序ニ役者ノ下稽古ナルモノヲ見ル(左団次 芝翫 女寅 米蔵等ノ顔合) 往復共電車ヲ利用シタリ(麹町六丁目×柳原橋) 往復六銭 実ニ安キモノナリ 十時半頃帰宅 十二時頃床ニ入ル
一月十四日 木 雨 暖 夜中(時計止マリ居テ時間分ラズ 三時頃ト思フ)二十五番地ノ犬ガ庭ノ水鳥ニ掛リ鳥ノ声犬声打雑リテ大騒ギナリ 直ニ飛出シ犬ヲ逐ヒ払ヒタリ 又間モ無ク前通リニ騒グ 又庭ニ出ル 此騒ギニテ朝方マデ寝ラレズ 頭ガ痛クナリ閉口ナリ 乾来リ昼飯ヲ共ニス 午後善兵衛 佐藤来リタリ 四時過ヨリ庭ニテ鳥小屋ノ防御工事ニ従事シ(雨中)夕刻ニ至レリ 夜食後杉竹 小林萬吾来ル 小林ハ大阪土産ニ銅ノ花生(古ビノ付ケアル)及ビ花生台ヲ贈ル 九時過ヨリ山元町ノ田中ノ井田女史ヲ訪ヒ十一時半頃帰宅セリ 此時雨霽レ星現タリ 十二時床ニ入ル
一月十五日 金 晴 余リ寒カラズ 午前合田一寸来ル 樺山より電話懸リ十時頃ニ立チ寄ル 古画ノ鑑定ナリ 夫レヨリ帝商銀行ノ事ニテ裁判所ニ大迫ヲ訪ヒ而シテ同人ノ依頼ニヨリ日比谷中学ニ於テ木藤郁氏ニ面会セリ 十二時頃帰宅 午後二時頃渓街翁ノ寓ニ婆様ノ病気見舞ヲナス 四時頃帰宅セリ 十二時過電話ニテ小西氏ニ往診ヲ請求シ置キタルニ夜八時頃来診アリシ由ニテ婆様ノ病気ハ極軽キ中風ノ如キモノトノ事也 夜少シ思ヒ付キタル画題アリテ為メニ二三ノ形ニ就キ梅ヲ相手ニ写生ヲ試ミタリ 今日ヨリ看病トシテ鎌ヲ老夫婦ノ許ヘ遣ル 父上枢密院ノ御用ニテ俄ニ鎌倉ヨリ今晩帰京相成タル由電話ニテ御通知下サル 本日姉上ニ代リ麦酒会社総会依任状ヲ馬越氏ヘ送リタリ 夜十一時床ニ入ル
一月十六日 土 曇 サムシ 時々霰フル 午前俥ニテ登校 一時頃忍川ニ於テ藤 中ノ二氏ト昼飯 二時過同所ヲ発シ鎧橋帝商銀行ニ赴キ大迫君及行員高津氏ト会合 橋口家ノ為メ借越契約名義書換等ノ手続ニ関シ種々打合セ大体終了 新通帳ヲ受取リ夕刻帰宅セリ 書類ハ又前田氏ノ閲覧ヲ経テ後ニ捺印送附ノ約束ヲナシ置キタリ 夜露国芸術談原稿ノ校正ヲナシ直ニ投函ス 渓街老婦人稍軽快ノ由ナリ 総会委任状領収ノ旨今暁馬越氏ヨリ通報アリ 今夜十一時半頃床ニ入ル
一月十七日 日 曇 風有リ寒シ 朝九時半頃電報新聞記者蜷川新氏懸賞品ノ相談ニ来ル 同十時頃橋口清系図ヲ持参セリ 間モナク和田英作福岡ヨリ帰京セリトテ来ル 合田モ十一時頃ヨリ談話ニ来リタリ 橋口ヲ留メテ共ニ食事ス 合田ハ遅ク朝飯ヲ食ヒタル由ニテ食卓ノ傍ニ在リテ語ル 合田ハ二時過橋口ハ四時頃去ル 此時大迫来リ三十分間許語ル 本日笄町ヘ行ク考ナリシガ客来ノ為メ昼ハ外出不叶 夕刻ヨリ何トナク風気分ノ様ナリシ故遂ニ内籠リニ決シ夜食後ヨリ十時半マデ裏座敷ニ隱居爺ノ如ク構ヘテモンツノ復興期美術史ヲ読ム 床ニ入リテ後新聞等ヲ読ムコト平日ノ如シ 近頃ハ毎夜寝ナガラ新聞ヲ読ムヲ例トセリ ネムキトキハ電報ノミニテ半枚モ読マズ 昨夜ナドハ二時頃ニ至リタリ 十二時半ヨリ早ク眠ルコトハ殆ド稀ナリ
一月十八日 月 午前渓街翁来ル 老婦ノ病状昨日ニ比シ少シク快キ方ノ由ナリ 十一時半頃食事ヲ了ヘ直チニ笄町ヘ行キ父上ニ拝謁 父上又本日二時過ノ汽車ニテ鎌倉ヘ御出懸ナリ 二時頃帰宅 半時間程立チテ裁判所ヘ行キ大迫ヨリ例ノ書類ヲ受取リ前田所所ニ面会 四時マデ雑談セリ 帰途十五番地及山元町田中方ヘ立寄ル 夜食後九時頃マデ石油ストーヴ(橋口家ヨリ借入レタルモノ)ニ就キ研究セリ 臭気ヲ避クルコト能ハザルモノヽ如シ 蓋シ石油ノ適当ナルモノ無キガ為メナランカ 九時ヨリ十二時半マデ懸リ滝ノ白糸ノ表紙絵ヲ作リタリ〔図 「光風」カット〕
一月十九日 火 晴 寒 午前十時頃下山芳子殿今朝名古屋ヨリ着ノ由ニテ来訪 渓街翁モ来ル 是ヨリ先キ大迫 磯谷ノ二氏来リタリ 大迫ハ帝商ヨリ故文蔵ニ対スル担保品預証持参 用談ヲ了ヘテ去ル 磯谷ハ十一時頃マデ語リタリ 正午渓翁等ト共ニ食事 午後三時ヨリ帝商ヘ出向キ高津氏ニ面会 今回ノ帳簿名義書換ニ関スル諸書類差シ入レ前ノ文蔵君ヨリ差入アリシ分一切受取リタリ 是レニテ此一件殆ンド落着ス 帰途普及会ニ立寄リ中川氏ト暫時談話 点灯頃帰宅 夜ハ昨夜ノ表紙絵ノ修正ヲ為シ十二時ニ至リ床ニ入ル
一月二十日 水 如昨日 午前九時半頃栃木県視学田中氏 高崎行一君ノ紹介ニテ来訪 暫時談話 十時頃ヨリ登校 一時過長 中二氏ト忍川ニテ昼食 三時半頃同所ヲ出テ仲町安藤方ニテ祐信ノ絵本三冊八十銭ニテ求メ此処ニテ前ノ二氏ニ別レテ帰宅ス 夜壁紙用日本人物図案ノ構成ニ勉ム 十一時半寝室ニ入ル 昨夜ハ二時過マデ新聞ヲ読ミタリ 此頃ハ日露問題ト回向院ノ大相撲トニテ新聞紙上大分賑カナリ