1922(大正11) 年12月31日
十二月三十一日 日 (箱根迎年日記) 午前参内 歳暮ノ御祝詞ヲ申上ゲ午後青山墓参 後チ青木子爵ヲ訪問シ暇乞ヲナシ帰宅早々宮田幹長ノ来訪ニ接シ問題ノ形行ヲ聴取シ茲ニ今年ノ用事ヲ了ヘテ六時三十六分新橋ヲ発シ箱根湯本福住ニ泊ル
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
十二月三十一日 日 (箱根迎年日記) 午前参内 歳暮ノ御祝詞ヲ申上ゲ午後青山墓参 後チ青木子爵ヲ訪問シ暇乞ヲナシ帰宅早々宮田幹長ノ来訪ニ接シ問題ノ形行ヲ聴取シ茲ニ今年ノ用事ヲ了ヘテ六時三十六分新橋ヲ発シ箱根湯本福住ニ泊ル
一月一日 月 晴 (箱根迎年日記) 宿屋ノ薄暗キ一室ニ閉ヂ籠リテ此日ヲ過ス 少シク風アリテ寒気殊ノ外強ク覚エタルモ内籠リノ一因ナリ 「寸鉄」十二月号ヲ読ム
一月二日 火 晴 (箱根迎年日記) 今日モ風未ダ止マズ 寒サモ強シ 旧電車停留所附近及ビ塔ノ沢街道ヲ散歩シ鷹ノ巣山ニ一二町登ル 福住門前ノ橋畔ニテ松方正作君 岩崎男等ニ遇フ 「大分の石仏に就きて」ヲ読ム
一月三日 水 晴 (箱根迎年日記) 風止ミテ寒気幾分カ緩ム 今朝臥寝中ニ松方君見エタル由後ニ聞キタレバ午後訪問セシニ不在ニテ引取ル 早雲寺ヲ抜ケ白山神社ニ参詣シ旧箱根街道ヲ下リ三枚橋ヲ渡リテ還ル 矢野恒太氏ノ「江上客夢」ヲ読ム
一月四日 木 晴 (箱根迎年日記) 先ヅ小田原ノ海岸ニ出テ十字町三四丁目辺ヲ一巡ス 往行ニハ電車還リニハ乗合自動車ニ依ル 鎌倉三橋ニ滞在ノ山梨陸軍大臣ヨリ来信 電話ヲ以テ答フ 「男爵九鬼隆一氏談」及ビ福原男ノ「朝鮮統治と大陸政策」ヲ読ム
一月五日 金 晴 (箱根迎年日記) 宮ノ下ヨリ底倉ヲ通リ木賀ノ手前迄行引キ返ヘシテ堂ケ島ヘ降リ近江屋ノ帳場ニ腰ヲ掛ケテ茶ヲ一杯飲ム 今日モ電車ニテ登リ自動車ニテ下ル 又山梨将軍ヨリノ電報ニ対シ電話ヲ繋ケタリ 青木子爵ヨリ湯河原三日附ノ葉書ヲ受ク 後藤子ノ「東京市政ニ関スル意見書」ヲ読ム 今夜四号室ヨリ十七号室ヘ移ル
一月六日 土 晴 (箱根迎年日記) 気温稍々昇ル 松方君ヲ其別荘ニ訪ネ二時間許語リ一旦帰宿 後チ小田原街道ヲ散歩ス 湯河原中西屋ナル青木子爵ト電話ヲ交換セリ 同子モ明後八日帰京ノ予定ナリト云フ 「寸鉄」ノ読残シヲ読ム
一月七日 日 晴 (箱根迎年日記) 午前十時半頃松方君入来 同道岩崎男ヲ訪問セリ 午後白石地蔵前ノ山径ヲ辿リ小流ニ沿フテ東シ中途ノ崖ヨリ電車道ヘ辷リ又三枚橋ヲ西ヘ曾我兄弟ノ遺蹟マデ廻ハル 「国華倶楽部講話集」中伊東博士ノ「印度支那芸術」ヲ読ム