本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1922(大正11) 年1月1日

 一月一日 日 雨 午後晴 (箱根越年記) 旅宿ノ元日如何ニモ暢気ナリ 訪ヌル人モ無ク受クル客モ無シ 新聞ハ延着朝寝ハ仕方題 入浴シ美食シ読書シ午睡シ散歩シテ此日ヲ送レリ 出発前松岡新一郎君ヘサロン出品物発送用ノ署名筆蹟ノ見本ヲ渡スコトヲ失念シタレバ巻紙ニ記シテ郵送ス 夜留守宅ヘ電話ヲ繋ク 東京ハ雪降ナリト 此宿ノ都合ニテ明日午前中ニ立退カネバナラズ電話ニテ問ヒ合セタル結果酒匂ノ松涛園ヘ移ルコトヽセリ

1922(大正11) 年1月2日

 一月二日 月 晴 午後薄日 (箱根越年記) 宿賃及心附等ヲ合セテ五十余円ノ払ヲ済マセ零時五分ニ自動車ニテ酒匂ヘ向ヒ約三十分ニテ松涛園ニ着ス 此処ハ初メテ見タリ 松林中ニ貸別荘式ノ離家ヲ建並ベ庭先ヨリ直チニ海浜ヘ出ヅ可シ 但シ前回ハ浜ト家トノ間ニ丈三四間ノ小松原アリテ海ハ全ク見エズ 西方疎松ノ間ニ酒匂川ノ出口カ霞形ニ光ル水アルノミ 食事ノ用意中海岸ヲ散歩ス 本日ハ幾ンド無風ナレドモ日光弱ク面部冷タシ 結局湯本ヨリモ気温低キガ如シ 先年暇ヲ取リタルキワト云フ者前羽村字押切ニ菓子屋ヲ営ミ居リ予テ季節ノ野菜ヲ寄セ又昨元日ニ東京ヘ電話ニテ年始ヲ申越タリト聞及ビ為メニ心動キ宿ノ女中ニ押切ノ所在ヲ尋ネシニ国府津ヨリ程遠カラヌトノ事ニテ俥ヲ命ジ午後二時半宿ヲ出ヅ 果シテ二ノ宮梅沢等ノ手前矢張此東海道筋ニ当リ距離ハ酒匂ト国府津ヲ折リ返ヘシタル程ナリ 子供ノ群集セル店先ニ俥ヲ停メテ石川幸平ナル人ノ家ナルヤヲ問ヒタル時キワノ面喰ヒ方ハ一方ナラズ見受ケラル 大ニ喜ビテ第一ニ赤子ヲ見セ夫レヨリ海岸ヘ連レ行ケリ 此暇ニ亭主殿モ俄カニ衣服ヲ革メ蜜柑籠ヲ片手ニ出来リテ挨拶ニ及ベリ 斯ル有様ナレバ長居ハ却テ迷惑ナラント察シ態ト内ヘハ入ラズ匆々ニテ立チ去リ四時半松涛園ニ帰着ス 此村落街道ナレドモ全ク在方ノミヲ相手トシテ生活スル故カ何ト無ク質朴ニ見エ平和ノ様子顕ハレテ嬉シ 今夜ハ海近カケレド波ノ音ハ余リ聞エズ戸締モ無キ離家ノ静サハ淋シキ位ナリ 一時頃迄読書ス

1922(大正11) 年1月3日

 一月三日 火 午前晴 午後曇 又少シク雪フル (箱根越年記) 朝風呂ニ入リタレドモ余リ暖タマラズ 矢張此地ノ気候ハ確カニ湯本ヨリ寒シ 午後二時頃昨日ノキワ子供ヲ抱キ二ノ宮ノ甘酒ナドヲ携ヘテ答礼トシテ来ル 奇特ナル女ナリ 四時頃マデ語ル 田舎ノ家庭的談話中々ニ興味アリ 此宿屋ノ風呂ト便所ニハランプヲ用ヒ又枕元ニ手燭ヲ置ク 甚ダ古風ナリ 概シテ時代後レノ物ニハ雅致加ハル 又台所ノ棚ノ隅ニ有明行灯ノ在ルヲ見タリ 一層古シ

1922(大正11) 年1月4日

 一月四日 水 此日モ午後ハ薄日ナリ 朝氷ヲ見 気温亦下ル (箱根越年記) 八時頃突然起サル 小竹ノモト入来 落花生 銀杏 蜜柑ヲ持参ス 此女モキワト同時ニ在邸セシ者 吾等ノ事ヲ伝聞シテ今朝五時起ニテ来レリト云フ 実ニ此辺ノ者ハ感心ナリ 昨今ノ二日ハ二女ニテ持切リタリ 松涛園ノ払茶代及ビ祝儀ニテ八十円許 設備ニハ多少時代錯誤ノ点アレドモ勘定ハ全然現代式ナリト云フ可シ 四時半自動車ニテ去リ五時七分国府津駅発帰京 途中高橋義雄氏ト同車ス 又西洋人多数乗込居タリ 新橋駅ニテ晩餐ヲ取ル 隣卓ニ上村行榮君ヲ見ル 此時火事アリ東京駅前ノ中央郵便局ナリト 全部カ一部カ大分熾ニ燃ユ

1922(大正11) 年1月5日

 一月五日 木 晴 午前ハシゴノリ 午後三時ヨリ十時半マデ帝国ホテルニ於テ平和博美術部ニ関スル協議会催サル 六時×八時小笠原伯 水野子

1922(大正11) 年1月7日

 一月七日 土 晴 御写真五枚御預リ 仲井特使 寺嶋伯 曾我君会館ヨリ同道両国公園前ニ開業スル臨川閣ヲ見富士屋ニテ晩餐 九時半頃帰宅

1922(大正11) 年1月15日

 一月十五日 日 朝晴 曇 夜雪 上野公園鶯坂上南洲庵 午前十二時半薩人会幹事川純 六時×九時総理芳埜屋采女町 精養軒三時×四時クローデル歓迎

1922(大正11) 年1月19日

 一月十九日 木 晴 午前福原氏 樺山資英氏来訪 午後二時半紫川荘内相 蜂須賀侯訪問 青木子ト頼倫侯晩餐四人又紫川荘 青木子ヲ送リ十一時頃帰宅 石渡君ヘ約束ノ小品ヲ贈ル

1922(大正11) 年1月21日

 一月二十一日 土 晴 本会議 午前十時×正午 東京市講演会青年会館午後一時半×四時半 慶久公薨去ニ関シ又議長歓迎ノ日取ニ関シ談合 六時過帰宅

1922(大正11) 年1月22日

 一月二十二日 日 晴 午前十一時青木 水野二君来 同道頼倫侯訪問 笠伯在 午餐 居残リ図書館問題 紫川荘ヨリ青木君同道蜂侯ヲ病床ニ訪ヌ 近衞公ノ件 又別ニ前記ノ二君ト渡邊子ヲ□□(原文不明)レ美術学生古城某来

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