1896(明治29) 年6月27日
六月二十七日 土
十二時前ニ平岡八郎氏が見へて一緒ニめしを食た 午後杉竹公へやる手紙をかいて直ニ出さした 夜橋口氏ニ行て居たら菊地と能所氏がたづねて来た 散歩がてら麹町から永田町へぬけ菊地の内へよつてラムネの御馳走ニ為つて居る処ニ合田がやつて来た 十一時半頃迄雑談を云て居た 合田ニハ赤阪見附下で別れた 今日も植木屋の下知
六月二十七日 土
十二時前ニ平岡八郎氏が見へて一緒ニめしを食た 午後杉竹公へやる手紙をかいて直ニ出さした 夜橋口氏ニ行て居たら菊地と能所氏がたづねて来た 散歩がてら麹町から永田町へぬけ菊地の内へよつてラムネの御馳走ニ為つて居る処ニ合田がやつて来た 十一時半頃迄雑談を云て居た 合田ニハ赤阪見附下で別れた 今日も植木屋の下知