1919(大正8) 年2月20日
二月二十日 木 晴 病気 又少シク感冒ノ気味ニテ肩ヨリ頸ヘカケテ筋張リタル心地ス
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
二月二十日 木 晴 病気 又少シク感冒ノ気味ニテ肩ヨリ頸ヘカケテ筋張リタル心地ス
二月二十一日 金 曇 夕刻ヨリ雨 大迫 大山 徳富ノ三家ヘ香典ヲ送ル 伊東男危篤ノ趣新聞ニ見エタレバ知足ヲ霞町ノ邸ヘ遣シ容態ヲ聞カシム 午後五時頃校友会ヨリ電話ニテ寺崎君逝去ノ報知アリ 気分勝レザルガ為メニ用事ヲ町田重備君ニ頼ミ日仏ノ理事会ニ出席セズ 用事ハ女子学習院ノ仏語教師ト小林文七ノ件也 午後冬枯ノ図ヲ八号ニ描ケリ 未成
二月二十二日 土 雨 弔詞 寺崎家ヘ知足ヲ以テ悔ヲ申入ル 伊東男今暁四時遂ニ逝ケリト
二月二十三日 日 半晴 訪客 岡 森岡 渡辺 薄衣母子 ゼレニウスキー 一昨日着手セルトン本位ノ作品ニ筆ヲ加フ 未成
二月二十四日 月 曇 夜雨 寺崎広業君葬儀午後二時浅草橋場総泉寺ニ於テ執行セラルヽニ付自動車ニテ会葬ス 往行上野広小路ニテ岡田君ニ遇ヒ同伴シ還リニハ岡田君ノ外藤島 長原ノ二君モ神田マデ同乗セリ 帰宅後夕刻マデ岡田君ト芸術談ヲナス Zieleniewski 氏ノ晩餐ヲ断ル 同氏ハ来ル土曜日一ト先ヅ東京ヲ引払ヒ京都ヘ赴クトノ事ナリ
二月二十七日 木 曇 伊東義五郎男葬儀 午後二時半霞町天主公教会堂 山本實彦君ノ雑誌「改造」発刊披露宴会赤坂三河屋ニ於テ催サル 文士ヲ中心トセルモノ 六時過着席 左右ノ隣ハ高楠博士ト松根東洋城君ニテ趣味アル談話ヲ聴ケリ 主人ニ話掛ケラレテ居残リ十一時帰宅ス
三月一日 土 晴 先月以来ノ生活状態 此頃ハ大抵夜三時半頃マデ新聞雑誌等ヲ読ミ朝ハ十時過カ又ハ十一時頃ニ寝室ヲ出ルヲ例トス 製作気分余リ悪シキ方ニ非ズ 時ニ風景ノ写生ヲ試ミ或ハ肖像画ノ製作ニ従事ス 本日ノ訪客 松方乙彦君 小川一眞君 外ニ中央美術記者柏村次郎氏来リ寺崎広業君ニ関スル談話ヲ筆記ス 中條君帰朝歓迎会 午後六時ヨリ燕楽軒ニ催サレ国美協会員集ル
三月二日 日 病勢減退セズ 甚ダモドカシ 忘レテ時ヲ待ツノ外ナカル可キ歟
三月七日 金 晴 三島彌太郎子ノ訃夕刊ニ発表 驚キ俥ヲ命ジ夜十一時半出向ク
三月八日 土 曇 夕方ヨリ雨フル 馬上孝太郎君送別午餐会 女子学習院ニ於テ会食ス 赤星鐵馬氏ヲ赤阪台町ノ邸ニ訪ヌ 關屋貞三郎君ノ依頼ニテ敬次君ノ学資問題ニ付テナリ
三月十一日 火 半晴 画架ノ直シヲ磯谷ニ命ズ 中央美術ノ原稿ヲ使ノ者ニ渡ス 岡野君ヨリ灯籠ニ刻ムベキ文字ニ付返事アリ 藤波氏ニ面会シ灯籠製作ノ経過ト撰文決定ノ事等ヲ告知ス 日高秩父氏ヘ仲君ヲ以テ揮毫ヲ申入ル 文字ノ寸法ニ関シ仲君二回往復ス
三月十二日 水 曇 昼間少時糠雨 夜本降トナル 中條君ニ増島博士ノ図書館ノ設計ニ付相談ヲ掛ケタレドモ諾否未決定ナリ 日高氏ノ揮毫成リ今夕刻仲君持参シ又之レヲ仲君ニ托シテ太江氏ヘ送ルコトヽス
三月十三日 木 薄日 洋画科教員会議ニ付午後登校ス 全員出席 (一)理事ノ報告(二)二年級ノ処置(三)二三入学者特別扱(四)研究生ノ専攻課目等ヲ協議セリ 自二時半至五時 理事会ノ議案ハ一週間前ニ各科ノ教官室ニ回付アリタシ 理事会ノ決議ハ主任会議ヲ経テ決定スル事
三月十四日 金 曇 夜雨 溜池研究所ニ於テ授業ヲナス(午後三時頃ヨリ二時間許ヲ費セリ)
三月十五日 土 雨 学期末成績及ビ卒業製作ノ採点ノ為弁当持参ニテ登校ス 例ノ如ク卒業製作ノ席次評定ニ手間取リ午後五時半頃全部結了シ退出セリ 藤波玄成氏ヨリノ書簡留守中ニ差シ置カレタリ 右灯籠ノ文字ノ件ナリ 増島博士ヨリ使ヲ以テ貫名ノ書一幅ヲ贈ラル 不取敢電話ニテ礼ヲ述ブ
三月十七日 月 晴 訪客ハ渡辺 仲 漆間 岡田三郎助ノ四氏ナリ 仲君ヨリ昨日ノ朝鮮陶器送リ来レリ 全部ヲ譲リ受ル事ニ決ス(大小二十三個) 雨潤会五時ヨリ華族会館ニ開カル 陸伯ハ感冒ニテ見エズ 出席者六名 拙者ヨリ一学生ノ補助ト国民美術協会ノ後援トヲ提出セリ 十時過散会ス 杉山令吉氏ニ雨潤会ニテ灯籠ノ文字ヲ相談シ直ニ名案ヲ授ケラレタルハ仕合也 中條君ノ手書今夜披見ス 承諾ノ趣也 岡田信一郎君ヨリ大三輪氏拙作所望ノ電話アリ 紅梅花盛ナリ
三月十八日 火 快晴 初春ノ心地十分ナリ 笄邸ノ検分ヲ兼半日ノ清遊ヲ試ミタリ 先ヅ梶山氏来リ 午後三時頃ヨリ照子ト三人自動車ニテ笄邸ヘ赴ク途中増島邸ニ立チ寄リ中條君ヨリノ返詞ヲ伝フ 記念トシテ写真ヲ撮ル
三月十九日 水 晴 午後風起リ夜驟雨雷鳴アリ 後霽レテ月出タレドモ風止マズ 樺山伯 藤波氏 ツルネ女史 松根氏ヲ訪問ス 藤波氏ノ外皆不在 藤波氏ヘハ例ノ灯籠ノ文字ニ付更ニ杉山氏ノ意見ヲ聴キタル結果同氏ノ選定ニ係ルモノニ訂正スベキヲ告グ
三月二十日 木 晴 風猶未ダ全ク止マズ 訪客ハ白山 堀井ノ二教授 長原君 渡辺君 野口小蕙女史及学生野口謙藏君 佐成謙太郎君陸奧伯ノ使トシテ 森岡柳藏君 中井精一君 仲君 再ビ渡辺君(自七時半至十一時)以上十名 学校工芸部新制度ニ関スル件及ビ従来ノ苦情(此分今回ハ採点上ニ付 白 堀) 学校入学志望者謙藏君紹介ノ為(野)松本翁ニ灯籠刻文ノ左右表裏ノ順ヲ問フ 陸伯ヨリ国美ノ分二〇〇学生ノ分一三五ヲ受ク(佐)
三月二十一日 金 曇 風アリ塵立ツ 清水柳太晩餐後入来 再ビ彼ノ貯金局ノ広告絵募集ニ付相談アリ 今回ハ全ク具体的ナリ 因テ方法ヲ立テ先ヅ作者ノ選定等ヲ引受ク 後チ画室ニ入リスチユヂオヲ覧タリ