本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1890(明治23) 年1月24日

 一月二十四日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃御安康之筈奉賀候 私事無事勉学罷在候間乍憚御休神可被下候 教師注文の花の一件ハ如何相成候哉 都合よく御取計被下候事と奉存候 学校の方も不相変上首尾ニ御座候 御安心被下度奉願上候 当年の共進会にハ是非何とか出し見度者と折角相考居申候 いよいよ画く事と相成候時ハ今迄の学資金にてハとても足り不申候間左様御承知被下度候(中略) 近頃ハ美術大学校の解剖の講義を聴候 之レハ一週二回にて実物ニ付て説明有之候事故甚だ愉快ニ御座候 余附後便候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年2月7日

 二月七日附 パリ発信 父宛 封書 (前略)河北と申人画学修業の為当地ニ来候 陸軍士官学校の教授とかを勤めし人の由ニて日本にてハ屈指の名人かと思ハれ申候 私等の学校にて稽古せらるゝ積ニ御座候 余附後便候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年2月20日

 二月二十日附 パリ発信 父宛 封書 一月四日同七日附の御手紙慥ニ相届拝読仕候 御全家御揃益御安康大慶此事奉存候 次ニ私事不相変大元気勉学罷在候間御休神可被下候 当年の共進会への額面いよいよ明日より着手の積ニて今日手本頼み置き候 共進会出品の期は三月十四五日と承り候 或ハ其時迄ニ出来上り兼ぬるかも不知申候 先つ其辺の処ハ後としてなる可く勉強仕心得ニ御座候 先便より端書を以て一寸申上げ教師より受取候金ハ百三十仏計ニて花の代運送賃及び当地にて私より払ひ候雑賃(マルセール港より当府迄の運賃其他)等ざつと計算致し候ものニ御座候 自分の方より注文したる者故是非受取置呉れと申す事ニ御座候故其儘受取申候 あれこれ入用多き際即ち学資と致し使ひ申候間左様御承知被下度奉願上候 横浜植木屋ハ荷作り余程上手にて牡丹ハ箱の内にて芽を出し居候 教師大喜びニ候 又御尊公様并ニ虫明様へ度々御手数相掛候段よろしく御礼申上呉れとの事ニ御座候 不日御礼として同氏の写真差上度と申居候 当時海浜の図を写すが為め仏国の南方へ旅行中ニ御座候 御地にてハ昨年来内閣のかわりだの何だの色々面倒な事多く有之候由実ニ政治社会の事ハ不思議の事のみ私共ハ余計な事ニ心配不仕只学問第一と致し候 早々 頓首 父上様  清輝

1890(明治23) 年2月26日

 二月二十六日附 パリ発信 父宛 葉書 益々御機嫌奉大賀候 私事大元気にて此の五六日ハ人を雇ひ本式ニ勉強致し居候 仕上る迄ハ十五六日もかかる可くと奉存候 委しき事ハ後便より 早々 頓首 父上様  清輝

1890(明治23) 年3月13日

 三月十三日附 パリ発信 父宛 封書 二月四日ノ御尊書并に同七日附母上様よりの御手紙いづれも慥ニ今日相届き難有拝読仕候 御全家御揃益御安康の由奉大賀候 四五日前市来氏当地着 早速相尋ね御直左右など委しく承り安心仕候 又其便より種々珍らしき品御送り被下誠ニ難有厚く御礼申上候 別して数の子ハ結構に御座候 日本めし毎ニ頂戴致居候 船中などニて此の数の子の香高かりしニハ市来氏少しく閉口された由也 川路利恭氏御地着相成直左右御聞取被下候由同氏トハ一年間も同居致居候事故誰よりもよく私共生活の状を知り居らるゝ事に御座候 私かきかけ候画未ダ全く出来上り不申 しかるに共進会出品の期ハ明後日限りと申事左候得ばとても当年の間にハ合ひ不申候 且つ当分教師旅行中にて相談も不出来又た大いそぎにてかき上候とも不十分なる者にてハ何の功能も無き道利 依而出品の事ハ来年と極め此の画ハ今一週間もかゝりて充分ニ仕上る考ニ御座候 其額の大さハ凡そ高さが二尺七八寸幅二尺計ニ御座候 趣向ハ女が琵琶を弾き終りてなニか物を思たりと云様な風情をかきたる積ニ御座候 其様ハ一寸左如〔図〕 此の為ニ已ニ百五十仏近く使ひ候得共学校などニてかく稽古がきとハ違ひ一つの額を仕上ると云事ニ付て大ニ利益を得申候 此ノ画終り候はゞ又々何ニか画き始むる覚悟ニ御座候 当分学校にてハ只朝のみ勉強致し居候 余附後便候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年3月21日

 三月二十一日附 パリ発信 父宛 葉書 益々御安康の筈奉大賀候 私事至極元気毎日例の額の画ニ骨を折り居申候 御安心被下度奉願上候 今一週間も勉強氏候ハヾ略出来上り可申候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年3月28日

 三月二十八日附 パリ発信 父宛 葉書 今度亦端書ニテ蒙御免候 御全家御揃益御安康の筈奉大賀候 私事至極元気勉学罷在候間御休神可被下候 先日より画き掛ケ居候画未ダ全ク出来上り不申候 併し余り長引き金のみ沢山かゝり候間一と先づ一通りの出来ニテ止め置く積りニ御座候 気候も段々よろしく相成候間又々田舍に出掛ケ申度者と奉存候 当年の夏ハ是非共一二の額をかき上げ度候 何分金のかゝるハ手本雇入にて閉口の至ニ御座候 先般御送り被下候金子も已ニ半費し申候 今日などノ気候ハ已ニ春と云よりも夏の初と云程ニ御座候 未ダ此の通リニテハ続く間敷候 余附後便 頓首 父上様  清輝

1890(明治23) 年4月3日

 四月三日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)こないだからかきかけてをりますおんなのゑもたいていかきとりました しかしまだすつぱりハすみませんよ せんじつそのゑをせんせいにもつていつてみせましたらかなりよくできたとほめられましたからうれしいことでございます(中略) みようにちからまたむかしのひとのかいたゑをうつすつもりです もう三しゆうかんもしたらいなかにいつてべんきようしようとぞんじます このなつのはじめからあきへかけてなにかすこしみのいつたゑをかこうとぞんじます(後略) 母上様  新太

1890(明治23) 年4月11日

 四月十一日附 パリ発信 父宛 葉書 益御安康奉大賀候 私事大元気三四日前より又新ニ一の額面相始メ毎日午後ハ其方ニ費し申候 午前ハ矢張学校ニて勉学罷在候間御休心可被下候 当年ハ大憤発仕金ニかまわず思ふたる画をかき度きものと奉存候 学資も今少々計ニ相成候 早々 頓首 父上様 清輝

1890(明治23) 年4月17日

 四月十七日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃御安康之筈奉大賀候 次ニ私事大元気にて勉学罷在候間御休神可被下候 前便より申上候通り先日中よりかきかけ居候女琵琶を持ちたる図ハ殆んど出来上り候間今一つ新図相始メ申候 今度のものハ前者ニ比すれバ少しハ大きく趣向ハ(将に目をさまさんとする)と云積ニて女がねながら目をこすり居る体をかき申候 当地にてハ人の体を以て何ニか一の考を示す事有之候 先づ私の教師の画を見ても春と云様なる題にて草花の咲き出て居る中ニ丸はだかの美人がねて居りながら何ニ心なく草葉を取りて口ニくわへたる様をかき又夏の図として数多の女が園中にて或ハ花を摘み或ハそれを頭ニかざしねたるもあれバ立たるも有り又池中ニ遊び居る者もありと云画をかき候 此等の図ハ余程気分高尚ニして且筆がよくきゝ候ハでハ出来難き者ニ御座候 画学中最もむづかしき者ハ人物にて人物も衣を被たるよりハハだかの方一層むづかしく候 学校などにても常ニ裸体を用ひ申候 画かきが画をかくは学者が文章を作ると同じく自分の考を人ニ見せる事なれバ己の精神が高尚ニ非ざる以上ハ兎ても立派な画の出来る道理無御座候 一寸考へ候時ハ裸体の人物と云てハ甚だ不体裁な者の如く有之候得共之レハ全く俗人の考にて其考こそ却而不体裁なる者ニ御座候 凡そ天地間の生物中人間程奇麗ニよく出来居る者ハ有之間敷候 而其人間中の最も完全なる者を見る時ハ此の上もなき愉快を覚る事花の最も美なる者を見るよりも一層の事と奉存候 教師が美人を画て春と題したるを心得なき人ハ見て只草の上ニはだかの女がねころび居るかなと思ひ熱帯地方の野蛮人ハともかくも欧洲などにて女が裸体にて芝原ニ臥すると云事ハなしなどゝ色々馬鹿な評を下す可く候 併し教師ハ春の心地を画きたるにて今咲き初めたる花と云様な美人の体を画きたる也 即ち此の春ハ人の精神中ニのみ存する春にして教師と同じ感じを持ちたる人が此の図を見る時ハ云ニ云ハれぬ愉快を覚る事ニ御座候 今度の画ハ少なくも尚二十日位ハかゝり可申候 学校にての早がきとハ違ひ思ふ儘ニ手を入れ勉強致し候間面白き事限り無御座候 昨年の末より当年ニかけ筆も少しく進み教師も至極満足の様子仕合の事ニ御座候 右の外両三の趣向思ひ付候間是非当年中大憤発仕来春の共進会の為何ニか作り出し度奉存候 それニ付てハ物入も少なからざる可く併し入用丈ハ頂戴仕度此段偏ニ奉願上候 手本雇入代の高き事ニハ実ニ閉口の至ニ御座候 幸にして教師雇付の手本手ニ入候間仕合の次第ニ御座候 当地ニハ手本を業と致し居者多く有之候得共よき手本ハ至而少なく善き手本となれバ大抵皆教師等如き上手の雇付けと相成なかなか諸生の手ニハ落ち不申候 気候も段々よろしく相成候 当月の末か来月の始メニハ又々田舍ニ出掛ケあまりあつくならぬ内ニ下画を沢山かき度ものと考居申候 先般手本代として御送り被下候百円仏貨ニして四百仏計も殆んど盡き今公使館ニ残り居学資金の高ハ二百仏か二百五十仏計ニ御座候 若し為換到着前ニ欠乏致し候時ハ致し方無御座候間友人よりなりとも借金仕勉強の方ハ今の儘ニて続け申度奉存候 尤も気分の進み居る内ニ仕事する方徳用ニ御座候 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年5月7日

 五月七日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたくしことハいつもながらだいげんきにてこの二三日くめさんといつしよニぐれと申ところニまへつてをります このぐれと申ますところハいつかも申てあげましたとうりぶんぞうさんとご一しよニまいつてをりましたところです そのときからもう二ねんばかりニなりますもんですからそのときちいさかつたこどもなんどがもうおゝきくなつたりまた十二三のおんなのこなんどがりつぱニおゝきくなつてをります(中略) このいなかでかきたいものがたくさんございますけれどもたゞいまハあいにくおかねのすくないときですからながくおることハできませんよ もう三四日もしたならまたぱりすニかへつていきましてそうしてくめさんがぎんこうでおかねをうけとるとそのおかねでまたふたりづれででかけようといふつもりです(後略) 母上様  新太

1890(明治23) 年5月17日

 五月十七日附 グレー発信 父宛 葉書 (前略)一昨日ヨリ又々グレト申田舍ニ参リ今度少シク大ナ者ヲ二ツ三ツカキ度存居申候 旅費かれこれ皆久米よりノ借金ニ相成候 久米 河北の両氏ト共ニ来り候間日本語ニ不自由無之愉快ニ御座候 当地ハ米国人非常ニ多キ地ニテ英語ノ社会甚ダ面白カラザル次第ニ候処今度ハ日本人三人ト相成候故毛唐人ニハ関係セズ我等ハ我等ニテ別ニ一世界ヲ為シ居申候 余附後便候 早々 頓首 父上様  清輝拝

1890(明治23) 年5月23日

 五月二十三日附 グレー発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 私事至而元気未ダ田舍ニ滞在中ニ御座候 先便より申上候通リ今度ハ久米 河北の両氏と共ニ来リ候間夷人の中ニ居る様な心地少く愉快此事ニ御座候 為換券面の間違も里昂なる正金銀行支店ニ問合せ候処返事有之全くドルとフランとの間違と相解り右為換券ニ対する金額仏貨にて七百八十余仏送り来り候間今ハ只巴里の銀行にて其金受取る計りと相成候 御安心被下度奉願上候 当グレと申地ハ田舍とハ申者の此の三十年位前より画工多く来る地と申事にて仏人の画工ハ甚ダ稀ニ候得共(私ハ未ダ仏人の画工ハ一人も見受不申候)英米人至而多く只今私共止宿致居候旅店ニ同居の英米人十余人有之候故ニ何となく夷人臭き心地致し候 右の次第にて当地の百姓等外国人を見付け居候て若き女子などにて手本ニ雇れ候者も有之便利なる事ニ御座候 私も仕合せニ一人可成形ちよき者を雇ふ都合ニ相成候 巴里ニ比すれバ値段も殆んど半分ニ御座候 朝ハ八時半頃より十二時迄午後ハ二時頃より六時頃迄ニて五仏位にて上り申候 併し食料等の外ニ五仏づゞ毎日かゝり候事故非常ニ貧乏仕候 其かわりニ何ニか面白き者を是非共両三枚かき上げ度者と存し折角勉強罷在候 只今かきかけ居候者ハ窓の下ニて女子手仕事を致し居体の者一枚木の陰ニて若き百姓等休息し居る図等ニ御座候 其外夕方ニ牛を野より引き帰る処又ハ小さき子供ニ歩き方を習ハする処など色々かき度と思ふ図ハ沢山御座候 右等の図ニ付てハ只景色のみと申訳ニは行かず是非共人を雇ハねば行かざる次第ニ御座候 当年ハ勉強仕候て右等の画をかき上げ申度奉存候 それニ付てハ毎度申上通り学資ハ例年よりも多く入り申候 左様御承知奉願上候 今度御送り被下候金子にて久米氏への借金等も返し可申候 此の金にて今月の払も致し六七月中ハ無事ニ勉強出来可申御安心可被下候 昨年迄ハ只学校ニテ勉強致すのみニて田舍ニ参リ候ても自分ニ何ニか考へて一つの額面ニまとめ見るなど申事無之候故金も入り申さゞりしかども当年ハ少しく歩を進め手本など雇ひ候故貧乏ハ致し候得共愉快ハ先年ニ十倍致し候儀ニ御座候 天気ハ雨勝にて景色など稽古の為にハ甚ダよろしからず候 又天気よき時ハあつさかなりつよく候故是亦余り感服不仕候 余附後便候 早々 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要奉祈候 御送り申上置候学校にての稽古かき等文蔵様の御用ニ相成候由仕合の事奉存候 当年ハ学校の稽古がき甚ダ少く候 其故ハよく出来たる分ハ皆学校の方ニ取上ニ相成油絵などハ皆学校ノ壁ニ掛ケられ候 併シ年の末にハ返へし呉るゝとか申事ニ御座候

1890(明治23) 年5月30日

 五月三十日附 パリ発信 父宛 葉書 益御安康大賀候 私事大元気一昨日田舍より帰り申候 之レハ金子受取などの為にて有之候 最早用事全くすみ候間明晩又々田舍へ出立の考ニ御座候 今日ノ昼めしニ教師の別荘ニ招かれ候 先般御送被下候牡丹ノ名の翻訳など仕候 又色々牡丹菊などの注文有之候 委しき事は後便より申上候 早々 頓首 父上様 清輝拝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年6月6日

 六月六日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康の筈奉大賀候 次ニ私事至極大元気にて勉学罷在候間御休神可被下候 去る二十八日ヨリ三十一日迄一寸巴里へ帰り居り絵画共進会等見物仕候 当年ハ共進会と申可き者二つ有之候 之レハ昨年の大博覧会の時より当地の美術家中ニ党派出来候て新党の方ハ毎年有之候共進会にハ出品不仕大博覧会の時の美術館跡ニ別ニ共進会を開き申候 此の方にてハ何等々々と申賞などハ一切与へぬ事ニ御座候 画の風も自ら旧の共進会へ出品有之者とハ異なり居候 新の方ハ先ツ一寸申候ハヾ今時風の画とでも名く可き者か只奇を好だる者多く正直な画少なき様ニ御座候 併し旧の共進会ニ比すれバ出来ハ一般ニよろしきと専ラ評判致し候 私の教師などハ矢張旧の方ニ出品致し候 巴里へ帰り居申候時教師の別荘へ食事ニ招かれ候 其時又々日本の草花注文致し候 之レハ此の前の時の如く都合よき時ニ金ハ返す考なりとハ存候得共先ヅ差当り御尊公様へ御立替を願ふ事ニ御座候 左様御承知奉願上候 其注文の花ハ第一ニ 菊 之レハ横浜の植木屋より種類沢山持ち合候故注文致し呉るゝ様申来居候 菖蒲 色々 右の者菊も菖蒲も幾種類にてもよろしく候間当地ニ着候て植付ケニ都合よろしき時分を御見合せ御送り出し奉願上候 植木屋の方でももとより其辺の処よく存居候事と奉存候 右の外此の前ニ御送り被下候牡丹の中ニ漏れ候者と又着候後枯れ候者とを御送り被下度奉願上候 此の方ハ花の番号皆能く知れ居候間別紙ニ記し申候 今度田舍ニ来リ候後本式ニ額一枚描始メ申候 郷の花と云様な積にて百姓の娘がひざのうへニ草花をのせながら木ニよりかゝり居る体の図ニ御座候 大さハ通常の人の大さ位ニ御座候間可成り大きな者ニ御座候〔図〕 之レハ念を入れて仕上る考ニ御座候 之レこそハ仕上げ度しと思ふ程のものを何ニかかきかけ候時ハ気分自ラ愉快ニ御座候 此の田舍ニて愉快なる事ハ蛙の声を聞くにて御座候 月夜などニ田舍道を散歩する時ハ中々よき心地致し候 先般久米氏ノ世話にて上商会社の便より御送り申上候稽古がき相届候由安心仕候 あれハ皆稽古がきのみにて且昨年迄の者ニ御座候間出来もよろしからず候 当年の者ハ今少しハ見るに足るかと奉存候 当年の者ニハ念を入れ候て仕上候者も有之候間之れ等ハ若し御送り申上候時にハ通運ニ頼まずハ相成間敷と奉存候 先ヅ力の及ぶ丈ハ憤発仕沢山かき溜め置其中より上出来の者を来年の共進会へ持ち出し度考ニ御座候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年6月13日

 六月十三日附 グレー発信 父宛 葉書 (前略)私事大元気にて未だニ田舍ニ滞在致居勉強仕候間御休神被下度候 此の四五日ハ雨天にて外にて勉強出来兼候間内にての趣向一つ即ち(読書図)をかき始め申候 愉快此事ニ御座候 之レも一寸大きな者故全く出来上る迄ハ一月位ハ少なくもかゝり可申と奉存候 手本も一週間の内四日位朝三時間午後四時間半か五時間位づゝ雇ひ勉強仕候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年6月19日

 六月十九日附 グレー発信 母宛 封書 いつもおかわりなくおげんきさまのはづおんめでたくぞんじあげまいらせ候 わたくしこともいつもいつもげんきでべんきよういたしてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし このごろハもうほんのなつニなりましたようですけれどもこちらハそんなにあついことハございませんよ わたしハこゝのいなかでこのなつハくらすつもりでございますよ せつかくおゝきなゑを二つほどかきかけてをりますからぜひこれだけハかきとろうとおもひますよ そのかきかけてをりますゑといふのハひとつハこないだ父上様にあげますてがみのなかニかきておきましたのです もうひとつのハうちのなかでおんながほんをよんでをるところです これハうちのなかのゑですからあめがふつてもかくことができます てほんをやとうぜにもぱりすとするとよほどおやすうございますからしやわせでございます このごろハあさの九じから十二じまでとおひるごハ二じはんから七じはんまでてほんをやとつてべんきようをいたしますよ なかなかおもしろいことでございます いまかきかけてをりますこの二まいのゑをかきとつたならぱりすへかへつていつてかきかけてをきましたゑにまたとりかゝろうとおもつてをります そちらでハまたおとうぢにでもいらつしやるだろうとぞんじますよ わたしはことしはたびなんどハおやめです まづこれぎり めでたくかしこ 母上様  新太  せつかくおからだをたいせつになさいまし

1890(明治23) 年6月26日

 六月二十六日附 グレー発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事大元気にて田舍ニ於て勉強罷在候間御休神被下度奉願上候 先日よりかき掛居申候二枚の額も次第ニ進み申候 尚二十日か一月も致シ候ハヾ全く出来上り可申奉存候 金ハ来月中ハとても覚束なき程遣ひ込み申候 左様御承知奉願上候 来年の共進会へ持ち出し受ケ取られ候都合ニ相成候ハヾ心地よき事と存折角骨を折り罷在候 御地ニてハ当年博覧会有之候て余程盛なる事の由承り候 油絵の出品等も自ら有之候事を奉存候 御覧被遊候哉 上手も出来候半と奉遠察候 久米 河北の両氏本日巴里へ帰り行候間田舍ニ日本人私独りと相成淋しき事ニ御座候 已ニ申上候通リ当地ハ英米及ビスエーデン等の異人多く来り居候て甚ダ心地悪く候 併し今迄ハ私共中間三人ニて有之候故日本村の勢盛ニ候処今日より独立の愉快を失ひ閉口の至ニ候 近頃ハ仏語ハ余リ耳ニ立ち不申候得共英語などを聞申候時ハ何となく夷人臭き様心地致し候 又実際の処ハ仏人ハ夷人中日々生活上ノ風習より事物ニ付て興す感等最も日本人ニ似たる者の様ニ御座候 米人ハ日本にてハ余程評判よろしき様ニ候得共当地にて見る時ハ先づ一般ニ俗物なるが如く被思申候 先日中ハ殆ンド毎日雨のみにて景色の稽古などニハ都合悪しく候処此の二三日ハ又上天気と相成今日などの暑さハ殆ンド日本の暑さの様ニ有之候 此天気今の儘にてハ兎ても続き申間敷と存候 昨夜ハ友人河北氏及び旅店の亭主夫婦其他村の者都合八人にてやど屋の馬車にて隣村の祭見物ニ夜十時頃より出掛ケ申候て朝方三時過ニ帰村致し候 祭ハいづこも同しくさわぎ方の強き者に御座候 田舍道を夜の明る頃朝風ニ吹かれて行く心地ハ一層ニ御座候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年7月12日

 七月十二日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)せんじつくぼのぼんちゆうがどいつと申くにからちよつとあすびニきてをりましたからわたくしもいなかからでゝいきましてあいました このゑさんといふおかたとくぼとニにつぽんめしのごちそうをいたしました(中略) わたしはこのなつはこゝのいなかでくらそうとおもつてをります それについてハやどやにしじゆうをるのハなんだかおもしろくございませんからどこかひやくしようのうちをかりてそこにねとまりをしようとぞんじます さいわいわたしがやとつておりますてほんになるおんなのあねのうちがあいてをるとのことにてそれをみにいきましたらちいさなうちにてわたしがねとまりをしてをるだけにハもつてこいといふうちですからそれをかりようとぞんじます まづはいりくちニどまがございましてそれからだいとこがついてをります そのだいどころのすミニはしごがかゝつてをりまして二かいニのぼりますとそこがねべやでございます たつたそれだけのうちですからごくちんまりといたしてをります(中略) わたしがたのんでてほんにしてをるおんなといふのはとしはまだ十九か二十ぐらいだそうですがせいのたかいことまことにふしぎにてほんとうののつぽでございます わたしはようやくそのおんなのかたのたかさぐらいきりやございませんよ このせいようじんのなかでもちよつとめニたちますからにつぽんニでもいつたらそれこそみせものにでもなるだろうとぞんじますよ こんどハまづこれぎり めでたくかしこ 母上様  新太  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

1890(明治23) 年7月18日

 七月十八日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたしハこのごろハやつぱりいなかニをりましてゑをかいてをります このごろかきかけてをりますゑハせんじつ申てあげましたおんながへやのなかでほんをよんでをるゑです これはあめのふるときかまたひがあたつてあつくてそとでゑをかくことのできないときニかくつもりでかきはじめましたところこないだぢゆうハあめばかりにてまいにちまいにちそのゑばかりかきましたけれどもあまどをしめてうすぐらいところでかくもんですからなかなかはかどらずまたなかなかできあがりませんよ まだすくなくも二十日や一月ぐらいはかゝるだろうとぞんじますよ おかねばつかりかゝつてまことにこまりますがこのごろハこないだついたかわせのおかねがございますからあんしんしてべんきようをいたしてをりますよ この十四日のひハこのふらんすのおまつりにてにつぽんでゆハヾてんちようせつとでもゆうようなおまつりですからぱりすなどにてハよるもひるもおゝさわぎをいたします(中略) ちようど十二日のひニくめさんがまいりましてそれから十三日の日ニくめさんと一しよにこゝから八りか九りばかりあるふろりと申ところニをりますともだちのあめりかじんにてぐりひんと申やつのところにあすびニいきました そのぐりひんというやつはさくねんの五月か六月ごろニ一しよニいなかニいつていたやつにてまことニかまわないよいやつです(中略) それからのりあいばしやニのりましてむらんといふところまでまいりました こゝからきしやニのりましてほんてぬぶろうと申ところニつきました(中略) それからうちにかへつてからがたいへんでした そのやどやニへやが一つきりハあいてるのハなくそれですからくめこうと一しよにねました(中略) そうしてわたしハくめさんとそのほんてぬぶろうにあるむかしのいじんのてんしさまのおすまいニなつたと申おみやをけんぶついたしました ずいぶんりつぱなものでございます けれどもこのごろはきれいなものをみつけたのかなんだかしれませんがどんなきんぎんざいくのものをみてもちつともかんしんいたしませんよ かへつてきんぎんのたくさんついているものハいやです わたしハとうとうひやくしようのうちをかりまして一さくばんからこゝにねとまりをいたしてをりましてやどやにハたゞめしくいばかりニいきます よほどこのほうがきらくでございます まづこんどハこのかげんでやめませう めでたくかしこ  母上様  新太  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

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