1909(明治42) 年1月4日
一月四日 午前雨 (箱根伊豆日記) 午後三時半ノ馬関直行列車ニ乗リ五時半頃国府津ニテ下車ス 停車場前ノ茶見世ニテ思案協議ノ末一ト先箱根行ト決シ六時半頃湯本着 福住楼ニ投宿ス
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
一月四日 午前雨 (箱根伊豆日記) 午後三時半ノ馬関直行列車ニ乗リ五時半頃国府津ニテ下車ス 停車場前ノ茶見世ニテ思案協議ノ末一ト先箱根行ト決シ六時半頃湯本着 福住楼ニ投宿ス
一月五日 曇 (箱根伊豆日記) 十二時頃湯本ヲ発シ小田原ニテ一時過ノ軽便車ニ乗リ換ユ 待合茶屋ニテ尺秀三郎君ニ逢フ 又軽便車ニテハ川村伯ト同乗セリ 三時過伊豆山ニ着 相模屋ニ投宿ス 岡野君及黒田 西村ノ二文士去二日ヨリ此旅宿ニ在リ
一月六日 曇 (箱根伊豆日記) 今朝黒田 西村ノ両氏去リ十二時頃岡田君夫婦来ル 土肥医学博士 其友詩人辻澤玄氏ノ二氏モ岡田君等ト同道中食ノ為メ此家ニ立寄ル 二時頃ヨリ岡田君夫婦 岡野君ト拙者共都合五人連ニテ徒歩熱海ヘ行キ市中ヲ一ト通リ見物シ亦土産物ナド買フテ還ル 途中夜ニ入ル
一月七日 始メテ晴レ暖カナリ (箱根伊豆日記) 午前十一時頃岡野君 岡田君等去ル 午後風景ヲ写シ後権現様ニ参詣セリ
一月八日 又曇ル (箱根伊豆日記) 午前十時頃正宗得三郎君来訪 十一時過ノ軽便車ニテ湯河原見物ニ出掛タリ 中西屋ニテ中食 午後二時四十七分ノ下リ軽便車ニ乗リ後レタル為メ海岸ヘ出テ真鶴ケ崎ノ景ヲ写シ夕刻帰宿ス
一月九日 曇 (箱根伊豆日記) 十一時過ノ軽便車満員ニテ乗ル事叶ハズ 一時ノヲ待ツテ乗ル 正宗得三郎君見送トシテ来レリ 小田原ノ茶見世ニテ高商ノ城崎氏ニ遇フ 国府津発四時半ノ汽車ニ乗ル事ヲ得タルハ仕合ナリ 七時頃新橋着 此時雪降ル 「今朝」ニテ食事ヲ済マセ人力車ニテ帰宅ス 途中雪益々強ク降ル 永田町辺ハ既ニ薄白ク積ミ居タリ
十二月三十一日 (湯ケ島日記) 午前十一時新橋発 同行五人 久米 竹澤 佐野 磯谷及拙者也 午後六時頃修善寺野田屋着 数年来泊リツケノ奥二階ノ一ト間ヲ占領ス 座敷ノ様子等別ニ変リタル事ナシ 昨年ヨリ進歩シタルハ電話ノ新設セラレタルコトナリ 料金ハ五分ニ付六十銭ナリト云フ 竹澤君ニ頼ミ同君方マデ当所着ノ旨ヲ通ジ拙宅等ヘ転告スル事トセリ 野田屋ノ電話番号ハ修善寺ノ八番ナリ 食物ハ昨年ニ比シ少シハ善クナリシヤウニ見エタレドモ鮪ノ刺身ハ全ク腐敗シテ食フ能ハズ 牛肉ハ小便ノ如キ臭気アリテ味モ悪シ 但酢章魚ハ上等也 魚類ハ三津ヨリ来ルナリト云 十時半頃二回目ノ入浴ヲ済マセ一寸床ニ入ル 久 竹 佐ノ三人ハ例ノ如ク電灯下ニ向ヒ合ヒ「ちいばい」ハ按摩ヲ呼ブ 十一時衆議一決餅ヲ取リ寄セテ食フ 十二時過寝ニ就ク