本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年5月9日

 五月九日 土 朝八時ニ大工ニ起された それから続いて和田 湯浅 白瀧 磯谷等が来た 少し後れて久保田米斎君が来た 米斎君ニ掛物の鑑定を先日頼んで置たがその掛物を持て来て返してくれたのだ 十時半頃から衆議院に出かけ十二時半頃ニ内へ帰つてめしを食ひ十時十五分過位ニ四丁目の樺山ニ行た 大久保利武と一と足先ニ出て上野の音楽学校ニ行た 此の慈善の音楽会ニ四時頃迄居た 随分大層な入りだつた 田中阿歌麿 河村鉄 渡邊環 比留間 ギベール キヨソヌなどニ出逢つた 愛輔と鉄道馬車で新橋迄出た 途中 Je lui ai dit tout net mes senti-ments et mes intentions, 河村鉄 樺山資英 大久保 樺愛 白洲某(日本銀行)氏等と紅葉館ニ集る 内へ帰つたのハまさに十二時ならんとした頃

to page top