本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年5月5日

 五月五日 火 十時頃ニ西園寺さんへ行たら出勤をしかゝつて居らるゝと云事故其儘引取り上野に行たら岡倉氏ハ不在 夫れから森川町の林政文をたづねた 同人ハ四五日前ニ台湾から帰つたのだ 金州ニての話から又京都の話などが出た 林ハ今度帰り掛ニ京都へ寄つたとの事 飛烏山の扇屋で昼めしを一緒ニ食ひ四時頃ニ大学の前で別れ序ニ Revon をたづねて逢つた 宮本ニ勝元と云二人が居合せて知り合ニ為つた 夕方内へ帰つて晩めしハ内で食たが頭痛が始まつて気分が悪い 九時頃ニ橋口氏から On est venu me chercher aux noms de ma mère et de ma soeur. La dinamite très attendue a fait l’explosion! Je suis très enchanté de ce que le mouvement a été commencé. C’est pas trop tot !  

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