本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年7月3日

 七月三日 金 雨 雨で植木屋ハ来ぬ 十一時頃から清秀の処ニ病気見舞ニ行き序ニ橋口家ニも立寄る めしニハ内ニ帰つた 三時頃から出かけ先づ衆議院の奥田氏の処へ名札を置きそれからおぢやる処へも名札を出した 久米 合田 菊地等をたづねたが皆留守で内へ帰つた 今夜ハたつた一人でめしを食た 食後運動がてら菊地の処ニ行き九時半頃まで話し山王山ニ登つて十時を聞き赤阪の方へ下つて堀のふちをぼつぼつ歩いて内へ帰る 中村から大和旅行ノ途ニ上候云々汽車の中ニてと云端書が来て居た 母上ハ此の二三日ハ七丁目ニお泊りだ 今日ハ雨ハ降るしをかしく淋みしい様な日だつた

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