本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年7月2日

 七月二日 木 晴 夕方から少しポツポツ 今朝和田英作つゞいて岡田三郎助の二人がやつて来た 午後天真道場ニ画を直しニ行た 又三重の藤島へ学校の助手ニならぬかと云事を云てやつた 五時頃ニ小代が来た 一緒ニ出て合田をたづねたら留守 菊地ハ額縁屋ニ行たとの事 直ニ行て見たら居らず 佐野の処ニ行たら此処ニ居た 其処で四人ニ為り麻布のいろはで晩めし 溜池ニ又走つた 菊地ハ途中で別ニなりあとからやつて来た 合田が決心した原因を研究する事と為つたのが今夜の出来事 お蔭で日本でハ西洋ノ道徳ハ丸で通用しない場合が有ると云事をたしかニ知つた 十二時過ニ連中ニ別れて帰る

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