本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年7月4日

 七月四日 土 雨 十時頃ニ一寸西園寺氏を訪た処丁度出る処でだめ 序ニ散歩して山王山ニ登つて赤阪の方へ廻つて帰つた 昼めしニ合田が来て佐久間がかいてる今度仏蘭西へやるつなみの画を見ニ来てくれと云ので一緒ニ奴の処ニ行た 合田の兄の田島氏夫婦ニ紹介された 四時半頃から合田とぶらぶら溜池の方ニ来て又山王ニ上つて茶見世ニ一寸休み下つてすし屋ニ這入り菊地を呼ニやり三人ニ為つた すし屋から出てまごまごして居る処ニ久米 佐野の二人に出逢ひ都合五人ニ為り又あとがへつてすし屋ニ入りそれから合田の工場ニ行て借家などの事を十時頃まで話した 久米ハ此処から車で帰つたがオレなどハ又横町の牛屋ニ寄つて牛を少し食つてラムネや酒を飲み又一時間位話した 合田と二人で永田町を通つて内へ帰つた 帰つて見ると杉竹公からサロンのカタローグが二冊と手紙 ブレール・ブルス氏からカランダーシユの画が来て居た 実ニうれしく寝られない様だ

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