本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年3月27日

 三月二十七日 金 今朝十一時ニ学校の方ニ行かナケレバナラナイ都合ニ為つて居るのニ諸生が攻めかけるやら客が沢山で閉口シタ 十一時半ニ学校ニ行着いて一時過迄岡倉氏と色々相談して帰つた 先づ昼めしを一人で精養軒でやらかしそれから姉さんやどニ行て四時過まで話て居た 合田の処ニ一寸行た 菊地を引出し伊勢源ニ乗込む 久米ハ用事で行ズ お栄を呼ニやつたら来た さんざお栄に悪口を云てやつた 十時頃ニ久米の処ニ行て一時間位話し久米の処を出てからと云ものは大変だ 菊地と二人合乗で雨降の中をはしる なさけなく為つたとハ此事 寝床ニありついた時ニハうれしかつた Maison Hotéy d’lkenohata

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