本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年3月1日

 三月一日 日 (京都日記) 昨夜寝床ニ入つてから Le Roi Apépi de Cherbuliez, que mon ami Soughi m’a envoyé de Paris. を読みはじめ面白いので三時頃迄ねむられず それだもんだから今朝十一時ニ幾代と今一人の舞子が来た時迄寝て居た 此の二人の奴等ハ十五分計居て帰つて行た 昼めしハ内でやらかす 直ニ中村の処ニ行き一緒に散歩ニ出かけた 七条から気車で向日町迄行きそれから相乗で長岡まで行た 此処つゝじと梅の名所で京都からよく人の遊ニ来る処だそうだ かなり大きな形の四角な水溜自然の池が有つて其ふちニ土手が有り土手の両側ニ梅が植て有るのだ 少し未だ早過ぎるので花の開て居る木ハ極少なかつた 全体天神様の社が有るのでこんなニ梅が植て有るのだらう 錦水亭と云のニ休んでつまらない料理を食ひ酒を少し飲だ 五時頃ニ帰りかけた 来る時ニハ風が強くつて随分寒かつたけれど帰へりニハ風ハ止んだ だが今日ハ此頃の天気でハ寒い内だ 向日町迄車で帰り向日町から東寺迄歩き又東寺から寺町の四条迄車ニ乗つた 京極の中の牛屋ニ這入つたが人があんまり多いので出て新橋の高砂でめしを食た お栄を呼ニやつたら来て遂ニ尾張の新座敷ニ上り十一時過まで居た 先月吉岡へ送つた中村が書いた先月五日の日記が毎日新聞の二十八 二十九の二日のに出た

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