本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年3月15日

 三月十五日 日 (京都日記) 中村が十時半頃ニやつて来て余り天気がいゝから何処かへ散歩ニ行かないかと云ので今日ハ日曜の事でハ有るし仕事を休みニして出掛けた 先づ東福寺ニ行て応挙の七難の図と兆殿司の涅槃の図と山門の上で十六羅漢の木像を見 それから歩いて稲荷へ出て沢山鳥居のならんで居る処の左手の茶見世ニ腰かけてこんにやくナドのおかづで茶漬を食た 序ニ黄檗宗の石峯寺を見物し伏見街道ニ出た のどがかはいてたまらないから行く行く蜜柑を買つて食ヒとうとう桃山ニ登つた 天気がいいもんだから人が沢山出て居た 伏見のステーシヨンから気車に乗つて京へ帰つた 此六条辺ニ来たを幸ひ藤島了穏を尋ネたが留守 車で四条迄来て尾張楼へ這入る 此処で晩めしを食ふ事と極め先づ風呂屋ニ行た 帰つて来たらめしの用意が出来て居た 安藤を直ニ呼ニやつたら来た 十時半頃ニ引揚げ京極を散歩したが此の時ニオレハ腹がいたくなつてたまらない様ニなつて来たから安中ニ別れ車で帰つた 祇園の境内をぬける時ナドハ随分苦るしかつたが内迄帰りついたのは仕合 Mret Mme Ohyama

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