本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年3月16日

 三月十六日 月 (京都日記) 朝八時頃ニストーブの掃除で起された 又住友氏の便の者が m’a apporte les cent piastres de ce mois.  今日ハ陵を写しニ行積で中村を待て居たら一時半頃ニやつて来た 即ち二時頃から箱をぶら下げて二人で出掛けた 清閑寺へ行く道から下をのぞけばおうのの内らしい処が見へて梅ニ咲いてるのが有る 又男が一人仕事をして居る 中村が声をかけたら其男がおうのの親爺 陵ニ行くのをやめて梅の写生を始めて夕方迄やつた パレツトを持て居た方の手をひどいめニブトに食ハれた 帰りニハ清水の方を通らずニ馬道から帰つた 安藤が来て居たから直ニ三人で先斗町の松村と云内ニめし食ニ行た 食ひながら松原の写真室のあとで学校でもやつたらと云様な事ニ付て相談などをし後京極を散歩して帰つた 静雄君と一時迄話をした

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