1896(明治29) 年4月27日


 四月二十七日 月
 朝早くから磯谷と白瀧がやつて来た 磯谷ニハ額のわくを注文した 今日ハ天気ハいゝけれどなんだかぼんやりしてねむい 家の系図 古文書等をお久殿より受取り調方をした 昼過ニ為つてつるつと昼寝をやらかし少し気分がはつきりしたので樺山伯の処ニ Visite ニ出掛けた 又内を出る前ニ pere Hashiguchi が玄関迄来られた 樺山伯ニ逢つてから内へ帰り菊掛の処に行き合田の処ニ行き又日本橋の菊屋迄払ニ行ツタ 井上が居合せたので六時頃迄話しそれから久米の処ニ行た 菊地が久米の処ニ待ち合せて居たから奴と二人で清新軒でめしを食ひ又久米の処ニ行て十時半頃迄話をして帰る 今夜ハ月ハよしはだもちも至極よし 清新軒で織田万蔵ニ十五六年振ニ逢つた 内へ帰つて中村と敦盛ニやる手紙をかき二時頃ニなつた