本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年4月16日

 四月十六日 木 (吉野紀行) 僅二十銭の茶代で神さんがお礼ニ出て来るやら下女が靴をみがくやら 堺ニ行うかと云説もポツポツ雨がやつて来たのでやめニなり山内愚仙を攻撃する事ニ議決シタ 愚仙が内ニ居て仕合 一緒ニ出て西村天囚と大牟礼を尋ねたがいづれも留守 遂ニ山内ノ案内で待合如き一つの御茶屋ニ入つた 其家の名ハ網干屋と云 四時過の汽車で京都へ帰り小堀でめしを食ひ後少し散歩して中村に別れて帰つた

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