1897(明治30) 年1月9日


 一月九日 土 (房総旅行記)
 今日ハ此の大原駅の滞在の最後の日だ 朝目がさめて見ると雨だから其儘起きずに床の中でむじむじしてしばらく時を立たし十時頃ニ起きた こんな天気で仕方が無い まづぼちぼち出立の仕度を始めた 昼過ニお竹がやつて来たから奴の面をかき始めた これはオレがかいた久米公の肖像を奴が昨日持て行て仕舞つてなんと云ても返へさないから其画の代りニ奴の肖像をかいてやると云てかき始めたのだ こんな事で夕方の暗くなる時まで暮らしてとうとう其肖像をふんだくられた 其代りニ久米公の面ハ返へしくれた お竹と云奴ハ余程奇な奴だ 大きな体をして居て丸で七つ八ツの子供の様な処が有る こんな家業の女ニハ似合ハぬ 奴のお蔭で此の辺の風俗の裏の処がいくらか分つて来た 茶屋女の本姓からどういふ方法で客を取ると云事まで聞た 又宿屋の内の女ニ付いて誰ハ元何処で女郎をして居て何処の何と云奴ニ受出され何と云奴を色ニ持つて居ると云事だの又其女郎を受出した何某ハ茶屋の誰も手ニ入れて居り又其女ハ馬丁に気がうつり其馬丁の後を引受たのが巡査だのと云事も聞た 夜ハ芸者連を集めて馬鹿話を十二時頃までやりそれから一旦芸者共ハ去り被ものを着かへて又出て来た 今度ハ三人 これからかるた取をはじめまけたものニハ面ニおしろいをぬると云騒ぎ とうとう三時頃ニ為つて仕舞つた それから雑魚寝した 此処の雑魚寝も相手がオレ等だから矢張京都の通りさ