本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1897(明治30) 年1月10日

 一月十日 日 (房総旅行記) 七時ニ起きて送りのこしの荷をかたづけめしを食ひ八時頃ニ出かけた 今度も馬車を雇ひ切つた 一の宮まで一円五十銭だ 来る時より安い 一の宮の倶楽部ニ着たのは十一時頃だつた めしを直ニ食て仕舞ひ此処から大網の方へ行く馬車の出るのを待つて居た 余り体屈したから市中を散歩した 今日ハ市で大層賑かだ めざしの売物が一番多い様だ 一時頃ニ定員六人と云内五人程そろつたので馬車を出した 一寸行た処で一人乗り込み丁度六人ニ為つた 中々以て窮屈だ これから茂原迄の道と云ものハ非常だ 馬車の車輪が三尺位もどろの中ニめり込でハ飛び上りするので大変だ 又余り道の悪る過る処ハ客ハ皆歩くと云次第 実ニ困難を究めた 茂原で馬車をかへて出かけた これからのる車ハ一等悪い馬車で道路も前ニ似たものだから夜が入つて来るのでたまらない 歩かせられた時などハ足の置場が分らなくつて何遍もどろどろの中ニ踏み込んだ おまけニ途中で馬車の御者台の下の処の機械が損じて手綱をきるやら竹を折つてくゝるやらで随分時間を費やした 神社の有るなんとか云村を通る時までハ少し明るくして居たが間もなく暗く為つて仕舞つた 大網には六時前ニ着いた 馬車から下りて重い荷をかつぎあかりも何も無い堀道の中を二三丁ステーシヨンまで歩くなどハ随分困つた話し 気車ハ六時二十分 荷をあづけて仕舞つた時ハ六時十五分 大急ぎでそばやニかけ込み一人で二杯づゝ油げの入つたまづいそばを甘く食い気車ニ乗つて先づ一と安心した 九時前に本所ニ着き直ぐニ車で三十間堀の久米の処まで行き荷をあづけ銀座の通で煙草を買ひ内へ帰つたのは十一時頃だつた 鶏の汁が出来て居たからそれでめし

to page top