本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1897(明治30) 年1月20日

 一月二十日 水 晴 十時半頃まで植木屋の下知などしそれから山本の処ニ行た 途中で巴里の公使館ニ居た海軍の瓜生氏ニ出逢つた 山本の処でハ一時過ニ安藤が来主人と三人でめしを食ひ四時頃ニ為つて小代が来久米が来吉岡が来とうとう六人ニ為つた 六時頃ニ聖坂ニ押かけ白馬で腹を太とめ九時前ニ銀座を指して出かけた 山本も小代も途中から帰り四人ニ為つた 箱館屋で水をのみそれから築地の有明館ニ京都の堀江をたづねた 堀江ハ昨晩東京ニ来たそうだ 幸内ニ居た 十一時過まで四方山の話 又明日逢ふ事を約して別れた 吉岡と二人ニ為つて秀英会ニ一寸立寄桜田門の方からボツボツ歩いて内へ帰つた 月ハよし 霜ハ強よし

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