本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1897(明治30) 年1月23日

 一月二十三日 土 晴 八時ニ起き直ニ車で笄町へ行き父上ニ校長からの頼みの事を話し夫れから上野へ行く 途中で校長ニ出遇ひ話の結果を知らせ其儘学校ニ出画を直し又入学試験の点数を定めた 久米と精養軒でめしを食つた 学校の出口で安藤が待て居たから安藤も一緒ニ精養軒ニ来た めし後ニ三人連で又浮世絵の展覧会を見た Revon夫妻ニ出遇ひ画の説明などした 四時過ニ展覧会場を出三枚橋で安藤ニ別れ鉄道馬車で銀座まで来 久米の内ニ一寸と寄り二人で又新橋から人力で飯倉まで来 それから佐野をたづねた 小代の処ニ行て居ると聞て又小代の内へ行つた 今泉秀太郎君が居合した 其処で五人ニ為り一緒ニ飯倉の三つ星でめしを食つた 今泉へ帰り四人で小代のアトリエまで引返へしカルタをやつて十二時半頃まで遊だ

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