本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1897(明治30) 年1月17日

 一月十七日 日 晴 朝八時頃ニ高島から晩めしの招待状が来てめをさまされそれから久保 岡村と云二人の書生が来たので起きた 昼前に安藤が来 伊藤 安藤と三人でめし 一時過から内を出て安藤と山王山に登りそれから高島の処ニ行く 今夜集まつた人々ハ小代 久米 安藤 合田 山本 吉岡 吉岡ハオレが引張て来山本ハオレの処ニ来たからと云て偶然仲間入をした 例の愉快な話で十時半頃まで高島の下宿屋の二階で遊びそれから出て皆で榎坂まで来 此処で山本ニ別れた 小代氏の手前の角から別れて帰つた のこりの四人即ち久米 吉岡 合田 オレハ銀座まで来た 箱館屋の木戸がしまつて居るので大失望 仕方なく見世先の井戸の水をくんで代る代る飲んだ 久米ニ別れ三人でぶらぶら山の手へ帰つた 十二時半頃

to page top