1896(明治29) 年4月18日


 四月十八日 土 (京都日記)
 世阿弥ニ朝のカツフエを飲みニ行き昼頃ニ中村をたづねたら或る客と松葉ニ行たと云事故松葉ニ押かけた 客ハ山科の人で中村好夫と云あの辺の名望家だそうだ さつぱりとした人だつた 此処迄案内同然ニ連れて来た中村方の松田市兵衛爺を頼で銀行ニ金を受取りニ行てもらつた 銀行に預けて置た丈の金を受取る積だつたが代人では出来ぬと云事 それでハこれ丈取つて来て呉れと爺を二度銀行迄やつた 中村と山へ帰り三時過から相乗ニあとをしを付け渋谷を径て清閑寺ニ行て写生をした 陵の様子を写したのだ 夕方ニいそいで山へ帰り河原町のホテルニ行た時ハ早七時 松原と安藤夫妻ハもう来て待て居た 今夜ハお別れの為ニ皆を招待したのだ 食後ハ男四人で前夜の丸住ニ行き十二時頃迄騒いだ 今夜ハ昨夜より一層勢よくやつた