1896(明治29) 年1月17日


 一月十七日 金 (京都日記)
 十時頃ニ起て小便ニ出やうとする時ニお栄が入つて来た 之レハ今日からいよいよ誰を手本にするかと云事を問ニ来たのだ 十二時少し前ニ木村虎吉が来た 一緒ニ即ち二人連で小堀の西洋料理屋ニ行く 今日ハもやの掛つた雨日よりだから円山などの色がよかつた 二時少し過ニ木村同道で内へ帰つて居たら間も無く又お栄が来て今日ハ玉葉も幾代も来られぬと云返事を知らした 木村とお栄を相手ニ馬鹿話をして暮らした 夕方ニお栄を手本ニして面を一ツ描ク 全体オレハ銭切れで何処の料理ニも現金の処ニハ行ク事が出来ないから木村ヲ引張てお栄の内へ行き鳥鍋を食た めしの dessert ニ小初とか云美人を見た 又其女の妹のお徳と云のがおれが六道前の方でかいた画の女の面ニよく似て居ると云ので呼寄せて見た 九時半頃ニ尾張ヲ出て木村ニ三条ノ小橋で別る