本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年1月25日

 一月二十五日 土 (京都日記) 坊さんを相手ニ勉強した 四時頃ニ塚田正彦氏が見へ又住友家からの使の人がやつて来た 此人 Mà remis les cent piastres――大ニ勢力を得た 遂ニ中村 松原と尾張楼を攻撃する事ニ決した 安藤を直ニ呼ニやつたら留守と云事だつたが十一時頃ニ大不平で飛込で来た 其不平ハ一力亭で或る人ニ御馳走をしたら取持が甚だ悪るかつたと云のだ そう云勢で乗り込で来たので我々も勢がつき座敷が新きに為つて来た 一時過ニ此の家を出て安藤を四条の橋迄送つて別れたけれど中村が内へ帰つて行くのニハ少しおそくなり過たので又尾張へ引返へす事と為つて仕舞つた

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