本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年1月18日

 一月十八日 土 (京都日記) 十時頃ニ起てめしを食て新聞を読で居た処ニ幾代が祇園へ詣つたからと云て這入つて来た 間も無く中村が親類の若者一人連れて入り来る 此時十二時頃だつた 少シして河野が来お栄どんが今日の手本として三代子を連れて来又清閑寺の堂守岩佐氏が来た 狭き処ニ此の人数で一時ハ大混雑 其中で三代子を手本ニして仕事をやらかした お栄ハ用が有つて帰り河野も去り夕方ニ為つて来たので幾代と三代子を使ニやつて平野屋から食物を取り寄せて食ふ 食ひ始めたので岩佐氏ハ帰る 八時頃ニ中村等と女子共を尾張楼迄送つて行く 四条から京極へ入る処で中村の Protege ニ別れ中村と京極の中で女が此の寒さニ裸で水の中ニ飛込み芸をするのを見た 此の女子共ハ志州の蛋女だと云話也 京極で中村から金五円丈かりた

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