1896(明治29) 年10月27日
十月二十七日 火 中村と一緒ニ学校へ行た 昼めしハ会場で食ひ食後諸生と額のかけ直しをやらかし三時半頃ニ合田 中村と会場を立ち出て五時半頃ニ八百勘ニ着いた 今夜ハ文蔵さん達ニお別の為めニ一杯やるのだ 九時半頃ニ皆去り合田 中村等と山王ニのぼり十二時頃ニ帰る
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
十月二十七日 火 中村と一緒ニ学校へ行た 昼めしハ会場で食ひ食後諸生と額のかけ直しをやらかし三時半頃ニ合田 中村と会場を立ち出て五時半頃ニ八百勘ニ着いた 今夜ハ文蔵さん達ニお別の為めニ一杯やるのだ 九時半頃ニ皆去り合田 中村等と山王ニのぼり十二時頃ニ帰る
十月二十八日 水 朝春陽堂が来た 午後夕方近く為つてから合田 中村の二人と久米の処ニ行た 丹羽林平が居合せ皆としばらくカタローグの話などした それから又合田 中村と三人連で日本橋の菊隅ニ行き会津に別の意で飲だ エヂプト 会津二人共来て静ニやつてのけ十一時頃ニ去る 新橋から車
十月二十九日 木 中村ハ十二時半の気車ニ乗る積デ昼めしを食て直ニ立つた 井上が来て刀など見て三時過まで居た 一緒ニ合田の処ニ出かけ菊地とも逢つた Rendez-vous を例の米福と極めてそれからオレハ橋口家ニ行く 明月の出発の用意で大騒ぎ 米福ニ集まつたのハ小代 佐野 菊地 合田と井上の友人八木氏だつた C.F.のパトロンヌが出かけて来た Sハ Riz と今一人引張られて C.F. ニ一寸寄り茶を飲で帰る 時ニ十二時半頃
十月三十日 金 十時二十五分の汽車で橋口氏の家族出発 オレハ溝口氏と品川迄送つて行き岩窟ニ這入り昼めしを食ひ一時二十分の汽車で東京ニ帰りステーシヨン前の西洋料理で咖啡をのみ新橋で溝口氏ニ別れ合田の処ニ行た 此処で安藤 佐野等と出逢ひ C.F. に行た 小代もまた 今日ハ合田ハ先ニ帰つたので帰りハ一人でさみしかつた
十月三十一日 土 世界の日本の中島氏が来て一時間半程話して行た 久米 藤島も来た 奴等二人と伊藤とオレ四人でめしを食た 皆帰つて仕舞ひぐづぐづして居ると間もなく三時過ニ為る 昨日学校から額の代を受取つたからそれを浅井の処ニ持て行て渡し五時少し前ニ会場ニ行た 此時雨は甚しかつた 十人計揃つて金清楼ニ押しかけた 今日ハ画かき一般の会をこゝでやらかすのだ 集つて居る者ハ大した人数だ 我々の仲間ハ二十人計だつた 第二次会を近所の鳥屋でやらかす 非常ニ騒いだ 小代 山本 合田 佐野と C.F. で第三次会 内へ帰つたのハ二時
十一月一日 日 今日ハ北風で中々寒く為つた 九時半頃ニ起き風呂ニ入り昼までゆるりとした 合田と岡田が来て三人でめしを食ひ揃つて会場ニ出かけた 今日二時ニ共進会の褒賞渡しの式が有るのでそれニ面を出す為十二人程集つて小代が総代で祝詞をやつた 小代丈ハ先きニ帰りあとの者十一人で本郷の牛屋でめし 吉岡が会場ニやつて来て一緒ニ食ひニ来た 此処を出て皆ばらばらニ為つた 久米 合田等と歩いて帰つた こんや集つた者共ハ安藤 長原 久 合 菊 岩 吉岡 藤島 岡田 丹羽
十一月二日 月 朝から学校の日本画の方の生徒連が三人で来た 此の人達が午後の三時過まで居た 又大牟礼が来た 四時半ニ内を出て合田の処ニ行き又佐野の処ニ走つた 三人例の C.F. ニ集つて此処でめしを食つた 合田ハ去り遂ニ佐野と此処ニ一泊した
十一月三日 火 六時前ニ起された Mais il était déjà trop tard pour premier train. Sano et moi, nous sommes partis par le train de 7h 40m. 大宮ハ中々ニいゝ処だ あとのものハ九時の汽車でやつて来た 昼過ニ久米が来た 其時ハ皆と一と廻りして来た時だつた 三時過から又皆揃つて川の方へ散歩に出た 道々草花など取つて愉快 松友館ニ帰つて晩めしを食つて久米ハ六時何十分かの汽車で立つた 残つたものハ皆ねて仕舞つた オレハ一人ポカンと淋みし 八時四十分かの汽車で東京へ帰る
十一月四日 水 朝学校ニ出 岡倉氏ニ逢ひ大博覧会の事など話した 白馬会々場ニテ安藤 岡田等ニ逢つた 安藤と精養軒で昼めしを食つた 内へ帰つて植木屋の下知を夕方までやつた 安藤が来合田が来て三人で晩めしにお茶漬をやらかす めし後ニ岩村が来四人ニ為つて九時半まで話した それから皆で散歩ニ出かけた 安藤ニ新橋で別れ三人で箱館屋で十二時頃まで話 ぼつぼつ歩いて一時少し前ニ内へ帰る
十一月五日 木 夕方まで珍らしく客が無く只植木屋を相手ニ暮らした 昼めしは父上と一緒に食た 夕方に為つて佐野 合田 久米 藤島 菊地等が来た 六人連で金子でめし 菊地が水戸旅行中の話で座を持つた それから溜池橋の玉突ニ皆のあとについて這入り十一時頃藤島を引張て内へ帰つた 今夜藤島ハ内へ泊る
十一月六日 金 今朝早く藤島ハ学校ニ出た オレハ十時頃から出かけた 昼めしハ会場で安藤等とやらかす 二時頃ニ淺井をたづねて奴の画の値段を聞きそれから内へ帰つた 暗くなつてから安藤が来た オレハもうめしハ過半食つて居たが奴と出て C.F. ニ行た 使を出して佐野を呼び又合田と吉岡があとたづねてやつて来たのでにぎやかニ為つた 安藤 合田 吉岡ハ十二時頃ニ立ち去り佐野とオレハゆつくりしたので内へ帰たのハ二時頃ニなつた
十一月七日 土 十時頃ニ博文館の乙羽氏が速記者岩崎氏同道で来たのでいろいろ画の話をした 三人で昼めしを食た 乙羽氏ハゆつくり話して帰つた 四時頃ニ春陽堂が来てオレが貸してやつた画や又新ニ出版する雑誌などに付て話して帰た 暗くなる少し前ニ中が来滑が来吉岡が来た 四人でめしを食た 十時半頃まで皆話して行た
十一月八日 日 九時半頃ニ起て植木の下知を始めた 伊藤源が見へたから西洋館を高くする事を相談した 一時半から内を出て会場ニ行た 共進会の方で岡倉氏ニ逢ひ浜尾氏と大出東皐と云人ニ紹介された 連中十四人ニ善光寺が加つて都合十五人でがんなべで晩めしを食 歌を歌つたり探検などしてあばれた 合田 久米とボツボツ歩いて帰る 時ニ九時少し過 連中の名ハ岩村 佐野 安藤 和田 岡田 白瀧 菊地 久米 丹羽 湯浅 藤島 長原 小倉 合田
十一月九日 月 十時頃から学校ニ出かけた 十二時ニ会場で安藤と出逢一緒ニ弁当を食た 二時頃ニ内へ帰り夕方まで庭造の下知をした 母上とお茂と三人で中二階で晩めしを食ふ 合田来て九時頃まで話し一緒ニ赤阪から麹町の八丁目まで散歩し帰る 今日ハ風が有つて一寸冬の心持ニ為つた
十一月十日 火 今日いよいよ玄関前の大松をぬく事ニ着手した これハ大改革だ 十一時過ニ大熊と報知が同時ニ来た 間も無く大熊ハ去り今度ハ如来が来た 又乙羽が来た 四人でめしを食た 二時半頃ニ朽阿弥と乙羽ハ帰り如来丈三十分間程のこつて世界の日本の画の評ニ付て話した 晩めしハ母上と清と三人で食た 六時過ニ合田来 七時頃ニ菊地が来 九時頃ニ三人連で出赤阪見附下の下宿屋ニ高島をたづねた 丁度内ニ居た奴を引立しそば屋ニ行て面白く話を聞き十二時頃まで居て帰る
十一月十一日 水 学校ニ行く積で内を出かけ一寸久米の処ニ立寄つた処が安藤が居合せとうとう此処ニしりがすハり昼めしを食ふ事と為つた 午後の三時頃まで居りそれから三人連で内へ帰り一寸休だ 此時佐野が来て四人ニ為り高島の処ニ行き五人ニ為つて合田の処ニ行き横町の牛屋でめし 菊地が加り六人ニ為り其処ニ岩村と小代が来八人ニ為つた 又合田の処ニ出かけて行て九人でしばらく雑談 安藤ハ此処から帰つた 菊地も去り残りの者丈で赤阪の黒田家の前のそばやニ上り十二時前まで居た
十一月十二日 木 十時頃から学校ニ出かけた 先づ校長ニ面会教場ニ行き十二時より一時半迄会議 此間学校の生徒連の遠足が有つた時無礼をした奴の処分がついた 退校者が一人出来た 白馬会場で安藤ニ出逢ひ湯浅も来た 安藤 寺山と二人で Maison du Lac ニ行きめしを食た 女の屁ハ一寸可笑かつた 九時半頃から車で赤阪ニかけつけ高島をさそひ山王山ニ登り連中をたづねたら牛屋ニ行たとの事 こんなニ連中をさがすのハ今夜集ると云様な話ニなつて居たからだ 牛屋もたづねてとうとう菊地の処の角で久米 小代 菊地 佐野 岩村等もう仕方がないと云て帰つた 十一時前
十一月十三日 金 合田が来又伊藤も見へた 十時過から学校ニ出かけ十二時半頃ニ白馬会場で安藤と一緒ニ為る 三時ニ内へ帰る 小代が門に待て居た 合田が来佐野が来和田が来又乙羽が来た 此の人数で山王山ニ押しかけた 高島 菊地 岩村 安藤が集まつた 都合十人 又米的も加つた 例の如く音楽隊をさかんにやつて会の歌が出来た 十二時過解散 合田大酔 乙羽とオレと三人で C.F. ニ立寄る 一時過ニ二人を置て一人帰る 今夜の歌ハ おぢやるどしたんだどぶろくのめよ 白馬白馬 アヽ盛んだどしどしのめよ
十一月十四日 土 十時頃ニ中島氏が来十一時頃ニ乙羽と合田が来た 乙羽昼過ニ去り合田ハ居のこつた 奴ハ今日宿酔でぼんやり 四時頃ニ和田が来夜ニ為つて三人とも風呂ニ入りめしを食た めしの最中ニ合田の妻君が子を連てやつて来た 始めて来たのだ 八時頃から散歩に出かけた 今日ハ終日雨だつたのニ今夜ハ晴れて月がいゝ 三人で又山王山の楠本の座敷ニ上り静ニ雑誌など読で十一時過ニ為つて仕舞つた
十一月十五日 日 朝白瀧が来又久米が来た 十一時頃ニ氏神の祭が有つた 山王山を散歩して米福ニ行く 久米 岩村 小代が集つた 食後四人で笄の方から渋谷へ出 目黒へ廻り久米の別荘へ寄り柿を食ひしばらく遊び五時一寸過の汽車で品川へ出岩窟でおやすニからかいながら晩めしを食ひ九時半の汽車に乗りはづし歩いて内へ帰つた 今夜ハもやのかゝつた月夜で一寸悪くなかつた 十二時少し過ニねる