1887(明治20) 年8月11日


 八月十一日 朝ハ曇 木曜 (トレポール紀行)
 今朝ハ目ガ七時頃ニサメタリ 昨夜虫ガ出ナカツタノハ実ニ以テ目出度し 第一番ニ断岸ノ上ニ昇リタルニトレポールノ町ヲ目下ニ見オロシ海辺などニウロツク人ナドハ丸デ蟻ノ如シ 又海辺ノ砂上ニ色々ノ石ヲ以テ敷石セシ如ク見ユルハナニナランカトよくよく見レバ之レハ潮ノ干タル小石原ニ村民ガ洗濯物ヲホシナラべタルナリケリ 是亦一ノ見物ナリ 此ノ景ヲ見ナガラ少シク書物ナド読みたり 心自ラ快ナリ 此処ヲ去テ海辺ニ下リ子供等ノ遊ぶ所などを立テ見物シ食事ニ帰ル途中ニテレールノ娘ニ出遇ヒ其より婆様ガ少シ不快ナル事ヲ聞キタリ 今朝原氏ヘ端書一枚出シタリ 食事後御病気見舞旁レール家ニ行キイバナさんと少シク話ヲ為シタリ 此ノ近辺ノ風景ノよき所ナドヲ教へ呉れしに依り同家ヲ立出デ独りぶらぶらと歩キナガラ景色ナド写シ遂ニウート云町ニ行キタリ トレポールヨリ此ノ所迄四キロメートルトカ有ル由ナレバ我一里余位ノモノカト思フ也 此ノウーニテ見ルべキモノハ寺ト学校ナリト云 此処ニ至ル道ハ砂ホクリガ非常ニ立ち丸デ日本ノ如シ 此ノ町ノ入口右側ニ大ナル公園地有リ 巴里ノ公園ニ比スレバ掃除行キ届カズ余程イナカメキタルモノ也 併シ大木などありて見事也 ウーノ寺ノワキヲ通リ進みしに一ノ掘割リニ達シタリ 此ノ掘割ニソウテトレポールニ帰ヘレリ 途中一二ヶ処ニテ景色ヲ写したり 夜食後亦断岸ノ上ヲ遊歩セリ 人少ナクシテ妙ナリ 暗クナル迄クサノ上ニねころびて西洋手紙ノ下書キヲナシタリ 後又人ノ絶タルヲウカヾヒ野糞ヲタレタリ 之レモ話ノ一ツナレバ臭キヲカマワズ此処ニ記ス 之レヨリ海辺ヲ少シ歩シ帰宅シ手紙ノ下書キなどして十一時過ギ床ニ入リタリ