本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1887(明治20) 年9月1日

 九月一日附 ブランケンベルク発信 父宛 葉書 去る三十日朝六時ノ気車ニテトレポールヲ出発仕カレー港ト申処ニテヒルメシヲ食ヒ又市中ナドヲ略見物シ一時過ノ気車ニテダンケルクト云仏国ノ第三番目ノ港ニ向ケ出発仕候 三時頃ニ安着 港ノ模様や市中などヲ見物仕候 今夜ハ此処一泊翌三十一日朝十時四十七分ノ気車ニ乗シフユルヌト申村ニ十二時頃ニ着シソレヨリ蒸気鉄道馬車ニテ午後三時頃ニ此ノブランケンベルクニ安着仕友人エドワール氏方ニ厄介ニ相成居候 家内中揃ふて深切な人達にて至而ねんごろに致し呉れ候得共食客なりと思ヘバ何トナク肩幅狭キ心地致し候 今年ハブルクセル府ニ留学シ居ル日本人ハ松方氏始メ皆のこらず右エドワールノ招キニ応シ同氏方ヘ四五日ヅヽ遊ビニ来リタル由也 此ノ御礼トシテ何カ進物致シ度候ニ付御序ニ日本ノキヌ布ニテモ御送リ被下度奉願上候 頓首  父上様  ブランケンベルクより 清輝拝

1887(明治20) 年9月9日

 九月九日 久し振リニテ天気よし (ブランケンベルク紀行) 朝九時頃よりエドワル ロベール君(エドワールノ友人)ヘルマン(エドワールの弟)アンジエリナ(エドワールの妹)ト五人連レニテ此ノブランケンベルク邑よりブリユジユ村ニ通ズル掘割ニ舟コギトシテ出掛ケタリ 第二番目ノ橋迄漕ギ付ケ小生ハロベール君ト共ニ百姓家ニ入リ牛乳ヲのみたり 舟ヲ漕ギのどのかわき居りし時ニ鮮しき乳ヲのみたる事故一層美味ヲ感じタリ 十二時頃ブランケンベルクニ帰レリ エドワール ヘルマン アンジエリナト四人ニテイソギ潮ヲあびりたり 此地ニ着してより天気ノ都合ナド宜しからずシテ今日迄水ニ入ラザリシカドモ今日ハイツモより天気モヨク且ツ今日限りの事故暇乞ヒ旁水ヲあびりたるもの也 食事の時も近ケレバ大急ギニテ飛ヒ上リ走リテ家ニ帰ヘリ又潮ニ入シ時ニハカナリ冷カナリシカドモ直ちニ体モアタタマリタリ トレポールニテアビリシ時ノ比ニ非ズ 今日午後二時何分トカノ気車ニテ出立スル積リナリシカドモ皆サンノおすゝめニ依リ五時頃ノ気車ニ乗る事ト定メタリ 食後珈琲ナド飲ミテおかみさん及ビバランチヌさん(エドワールの妹)などと少シ世間話などして笑て居る内ニ早五時近クナリタルヲ以テ主人公及ビジヨルジナ(総領娘)さんに暇乞ひして出立でたり おかみさん始メエドワール バランチヌ マルグリツト ルイズ アンジエリナさん等皆送り来リタリ ロベール君其姉某 カルパンチエ氏の娘某等モ同ジク停車場迄送り来て呉れたり 実ニ御深切難有次第也 気車ハ上等ニ乗リたり 之レ送リ来りたる人ニ対シテかくハなしたるもの也 気車ノ中ニエドワールノ知人某氏乗リ合セ居リ新聞など貸し呉レタリ 一室中二人のみにて大仕合致したり 新聞ヲ読ハアマリ面白クナキニ依リ古今集ヲ取り出して読み時間を費したり 八時二十分頃ニブリユクセル府ニ着シホテルドコロニユト云旅店ニ投ズ

1887(明治20) 年9月16日

 九月十六日附 ブリュッセル発信 父宛 封書 御一同様御揃益御安康奉大賀候 私事去る九日午後五時頃ブランケンベルクナルバンハルトラン氏ヲ立出て当時ブリユクセル府滞留中ニ御座候 毎日友人等トアチコチシテ実ニ面白キ事ニ御座候 松方氏モ旅より今日帰へり来らるゝ由折角の事故会テから巴里に帰り行かんト思ヒ今日迄金の入るのに滞在致し候次第ニ御座候 バンハルトラン家ニハ去月三十一日より今月九日迄十日間計厄介ニ相成実ニ難有次第 如何ニして此ノ返礼をせんか学問成就の後ちに非されバむづかしき一件也 又当地に来れバジロント云人の内から飯食ひに来れト招かれウエベルト云人の家にてハ毎日の様に御馳走に成り実ニ此ノベルジク国ニ来れバ本国にでも帰へりたる様な心地致し候 又当地在留の書生ハ皆々学問も有り人物よき人達にて巴里に帰へり度なき様な心地致し候事ニ御座候 頓首 父上様  清輝拝

1887(明治20) 年9月23日

 九月二十三日附 パリ発信 母宛 封書 さる二十日のばんがたこのぱりすにかへつてまいりましてうちにかへつてみましたら七月二十二日および八月十二日つけのおてがみそれからまるまるちんぶんなどがついておりましてまことにうれしくさつそくおてがみをはいけんいたしました(中略) わたくしはこといつもながらぴんぴんにてとれぽをると申ところに二十日それからぶらんけんべるくといふところに十日ぶりゆくせるに十日ちようど四十日だけあちらこちらとぶらついてまいりました(中略) ぶらんけんべるくでハともだちのばんはるとらんといふひとのうちに十日ほどやつかいになつてをりました そこのうちのおやぢさんはじめみなみなそろつてよいひとたちにてまことにしんせつにしてくれました このふらんすにはながくをりますけれどもこんなよいうちはありませんよ(中略) そのばんはるとらんさんのうちのむすこのゑどわるどといふやつとまいにちうんどうをいたしました またあめでもふつててんきがわるいとそこのむすめさんのばらんちぬといふひととゑをなどをかいてあすびました このばらんちぬさんはゑがたいへんじようずにてことしはゑのがくこうにて一ばんのほうびをとつたそうです かんしんなものです(中略) ぶりゆくせるではうゑべるといふきよねん一しよにしやしんをうつしたひとのうちをわがやどのようにおもつておひるにいけバひるめしのごちそうになりばんまであそんでをればばんめしも一しよにくつていけとゆわれまたぜいむすいふ大がくこうのせんせいのうちやじろんといふひとのうちからめしによばれたりしていつごつさつごつていねいなめにあいまことにしあわせなことです もう一しゆうかんばかりするとゑのけいこがはじまります そうするとまたたいへんいそがしくなります こんどはゑのほうばつかりべんきようするつもりです そうでないとふたつ一しよにしておつてはほねばかりをれてけいこはなかなかすゝみません(後略) 母上様  新太

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