本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1887(明治20) 年8月18日

 八月十八日附 トレポール発信 母宛 封書 一ふで申上度候 その御ちにては父上様あなたさまおんはじめみなみなさまおんそろひますますごきげんよくいらせられ候はづおんめでたくぞんじあげまいらせ候 わたくしことせんじつはがきでちょつと申あげ候とほりさる十日の日にぱりすをたちましてるとれぽうるといふところにまいりました このるとれぽうると申ところはぱりすからいそぎのきしやにのりまして三じかんはんばかりかゝるところでございます うみばたであるせいかぱりすからみるとよほどすゞしいことにてなつやすみにあすびにくるところにはもつてこいでございます わたしがこないだのおやすみのときにほんてぬぶろうと申いなかにあすびにいきましたときにしりあいになりましたれいるといふひとがかないぢゆうでこのところにあすびにきております そのれいるさんのおかみさんがよきやどやなどをめつけてくれましてまことにしやわせをいたしました そのれいるさんのひとたちはみんなそろつてよいひとにてよくしんせつにしてくれます よいあんばいです わたしがこゝにきてから三日めにひさまつさんがついてきましたからはなしあいてができまいにち一しよにはまばたをあるくやらまたむるといふゆはにくつゝいてをるくといほそながいかいをとりにゆくやらしてまいにちおもしろく日をくらしております またこないだのばんれいるさんのひとたちやそのほかよそのひとたちおとこおんなばゞやむすめあわせて二十一にんづれにてのりあいばしやを一つかりきりそれにのつてめるすといふはまつゞきのとなりのまちのおどりばにおしかけましてさんざんにおどりちらしてよるの十二じごろにかへりました(わたしなんかはおどりができないもんですからたゞぽかんとしてみてをるばかりずいぶんまのぬけたはなしです) またぢきこゝのきんじよのいなかのもんちよんといふちよいとしたちやみせのあるところにもれいるさんのかないぢゆうと一しよにいきました そこのにはのまんなかにいたのまができておりましておどりをするようになつております さてその日にそこにあつまるといふやくそくでもあつたものとみゑわたしなんどがいつてからよそのおぢようさんやおかみさんやわかいおとこなどだんだんとあつまつてきましてとうとうおどりをはじめるといふだんになりました ところがれいるのおかみさんやおぢようさんがわたしたちにもぜひをどれをどれとゆうことにてなんぼいやとゆつてもきゝいれずとうとうおどりだいのうゑにひきあげられました さてそのおどりはつうれいのおどりのようにおんなとおとことくみあつてぎいぎいめのようにきりきりとまわるおどりではなく おんなとおとことつごう六にんにてふたりづゝならんでまるくなりそれからたてにならぶやらまたてつなぎをしてまわるやらするをどりでした わたしとくみになつたひとはさんじゆりやんといふくわぞくさまのおかみさんにてしつておるひとでしたからまことにつがうよくよいあんばいにひきまわしてくれました 二どめのおどりのときにはれいるさんのむすめのいばなといふひとがわたしをひきまわしてくれました うまれてからはじめておどりなんどといふものをしてみました こちらはにつぽんとかわりおどりがまことにはやりなにごとゝゆへバすぐにおどりですからどんなひとでもおどりはしつてをります またをどりなんどもするときにはかならずおとこのほうからおんなのまへにわざわざでかけてどうぞわたくしとをどりをなさつてくださいましとあたまをさげておたのみ申あげてをどりをするのがれいしきです それゆへわきからみてをるとじつにふきだしそうにおかしいことがございます わたしなんかのようにおんなのひとたちがぜひおどれおどれとすゝめるにいやだいやだとことわるほどしつれいなことはなくまたきのきかないいなかじんめきたはなしです けれどもしらないことはいたしかたはございませんよ またおとゝいはれいるさんのひとたちやまたぱいやんさんといふところのおかみさんとおむすめとむすこそれからさんじゆりやんさんがごふうふづれそのほかわかいおとこのひとでぶろんでるといふひとがひとりつごう十一にんにてのりあいばしやをかりきていなかまわりをいたしました ひるのござんはまぬびるとかいふところのいなかりようりやにてたべました めしをたべてしまつてからかいゆといふところにいきました こゝはうみばたにてずいぶんみはらしのよいところですけれどもすまいてはなくじんかは三つ四つありますけれどもみんなやねもかべもこわれてひとはすまわずあばらやになつてをります これはあんまりべんりがわるいのでみんなひとがこなくなつてしまつたといふことです そのあばらやのうち一けんもとはりつぱなうちだつたろうとみゑとんがつたやねがあるやらまたてずりがあるやらなかなかりつぱなうちがあります そこにもだれもすまつておりません まどはこわれねだはおちさもあわれなすがたになつております たゞそのいゑのかたはぢのほうにひやくしようがすまつております そのひやくしようがかつてをるにはとりをわたしたちと一しよにいつたさんじゆりやんのいぬがおつかけまわしとうとう一ぴきのめんどりのけつぺたのところのほろをまるでぬいてしまいかわもひきさけてしまいましたところをひやくしようがみつけてしようちせずとうとうだれかがそのにわとりを六十せんとかでかいました こゝからまたばしやでかいゆのまちにゆきました そのとちゆうでわたしなんどわかいおとこがよつてたかつてばしやのうゑでにはとりのほろむきをいたしました かいゆのまちでびるを一ぱいづゝのみそれからみんなちいさなふらんすのはたを一ぽんづゝとおもちやのらつぱをひとつづゝかいましてわかいものはおとこもおんなもみんなばしやの二かいにのりそのらつぱをフくやらうたをうたうやらしながらるとれぽうるにかへりました ちよつとおもしろいあすびでした わたしはこのやすみのうちにはせつぺおもしろくあすびやすみがすんだら一しようけんめいにべんきようしようとおもつております につぽんからのかわせもぱりすのこうしくわんについてをるそうです いづれかへつてからうけとりませう めでたくかしこ 母上様  新太拝

1887(明治20) 年

 八月十八日 木 晴 (トレポール紀行) 今朝郵便局ニ行き加藤氏より送り呉れたる二百仏ヲ受け取りタリ 午後久松君トシヤルパンチエ方ニ行キ後ち三人ヅレニテ遊歩セリ 四時頃ニ水あびをシたり 実ニ寒くしてなんともかんとも御話しにならず 二三分間ヲ水の中ヲ飛ヒ歩き陸ニ上リテ更衣室ニ入リシ時ニハ歯ニ痛ミヲ覚エタリ 之レ寒サの為メニ歯ヲヒドクカミシメタルガ為メナリ 後チ共ニ一珈琲店ニ入リ珈琲及ビコンニヤク酒ヲのみたり 夜レールノ妻君等カジノニ来ラズ 僕ハ日本ヘ出ス手紙ヲ読書室ニテ認メタリ

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