1887(明治20) 年8月19日
八月十九日 金 晴 (トレポール紀行) 今朝十時頃ニ日本母上様ヘ手紙ヲ一通出したり 後チシヤルパンチエ氏及久松氏ト舟ニテ一時間丈デ海上ヲアチラコチラトまわりたり 心地よろしからず 今朝久米氏よりの御手紙着セリ 午後例の如クカジノニテレールノ妻君等ニ会ヒタリ 夜モ同然 シヤルパンチエ氏及久松君ト三人ニテカジノノ中ノ珈琲店ニテ茶ヲのみ話ヲ為シ十時頃ニ立チ出シ時ニハ音楽モ早終ワリ人皆立去る所なりし レールノ妻君等ヲ逐ヒカケテ行キテ別ヲ告ゲタリ
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
八月十九日 金 晴 (トレポール紀行) 今朝十時頃ニ日本母上様ヘ手紙ヲ一通出したり 後チシヤルパンチエ氏及久松氏ト舟ニテ一時間丈デ海上ヲアチラコチラトまわりたり 心地よろしからず 今朝久米氏よりの御手紙着セリ 午後例の如クカジノニテレールノ妻君等ニ会ヒタリ 夜モ同然 シヤルパンチエ氏及久松君ト三人ニテカジノノ中ノ珈琲店ニテ茶ヲのみ話ヲ為シ十時頃ニ立チ出シ時ニハ音楽モ早終ワリ人皆立去る所なりし レールノ妻君等ヲ逐ヒカケテ行キテ別ヲ告ゲタリ