1897(明治30) 年1月12日


 一月十二日 火
 目がさめたら十時過 いそいで朝の食物を食ひ学校ニ出かけた 今日ハ雪だが地に積む程ぢやない 精養軒から安藤と藤島を呼ニやつて二人とも来た 三時過まで精養軒で話しそれから久米の処ニ出かけたが留守 某処で小代を攻撃した そうすると丁度申合ハした様ニ英翁が来た 牛鍋の御馳走で腹をふくらし九時頃ニ解散 安藤ニ西の久保で別れ菊地夫妻ニ奴等の内の前で別れ藤島ハ紀尾井町ニ今夜ハ帰ると云て弁慶橋を渡つた処で別れた