1896(明治29) 年1月5日


 一月五日 日 (京都日記)
 此の日仏人 Schutz ヲ案内して歩き廻った 先づ午後二時ニ世阿弥ニ行き夫れから二人連で高台寺 清水寺 大仏殿 三十三間堂等を見物す 後寺町なる古道具商店を冷かす 法隆寺時代と覚しき土人形の面白イのが一つ有つた 随分ひどくこわれてるがほしく為つたからとうとう買つて仕舞つた 大枚一両半也 其土人形ハ座像で丈が三十サンチメートル足らずでないて居る姿だ 人ハ男で口をあき目をしかめのどを張り腰から上ハ裸かで右の脇ニしやりこうべをかゝへ左の手ハ腰ニまいて居る布を両方のもゝの真中でしつかりにぎり布ニ皺をよせて居る 実ニよく悲みを説明して居る人形だ