1887(明治20) 年8月26日


 八月二十六日 金曜 晴 (トレポール紀行)
 今朝十時過頃一ね入したり 久松君が送り呉れたる時計一個端書一つ其他藤島君よりの手紙一つを受け取リタリ 食後日本吉田麟太郎君への手紙一通久松君への返事一通ヲ出し而後レール家の近処なる小さな公園の様な遊び場に行キタリ(先日ツタノ葉取リニ来リシ処) 此ノ公園ハ高見ニシテ見はらしよく且ツ後ハ小高クなりし薮あれバ影多く至而涼しき処なり 暫時ニシテレールノ妻君おばあさん及びむすめさん本など持ちて来りたり 後ちロベール氏及他一人の青年来リタリ ロベル氏ハ先日よりレールノ妻君ト不和ヲ生ジ会し時モ礼モせず居リシニ昨夜故なクテフト中なほりしたりけり 此ノ一条ニ付テハ実ニ奇なる話あり 此ノ滞在中尤モ小生のなぐさみになりしハロベルトレール氏一家トノ関係に付テノ話なりける 併し事ながけれバ此処には不記 皆打ち寄りて面白く遊ビ後ち小生ハレールノ妻君等ト海岸を遊歩したり 途中カジノノワキニテバンダト云ポロニユ国ノ女の母親がレールノ娘ニ向カヒ悪口ヲ云ヒタリ 之レ昨夜ノ躍ノ時バンダノ女がロベールト躍ル可キ時ニレールノ娘がロベールト躍りたれバ其恨みヲ述へたるなりト小生等大笑ヒシタリ(之レモロベール レール物語リニ関係スル一事ナリ) 実地ニ小説を見る事故実ニ愉快なり 夜食後八時頃迄波止場ノ辺を一人にて遊歩し後レール家ニ行キ門口ニこしかけてレール氏ヤばあさまト少しく話ヲ為し後ちレール氏ト少シク遊歩セリ 同氏ニ別れて カジノノ読書室ニ入リ新聞紙などをいやながらひろげ居りしに窓よりシヤルパンチエ氏が呼ヒタリ 即チ出でゝ同氏ト少シ遊歩しカジノ中ノ珈琲店ニ入リテ茶をのみ談話せり 九時半頃ニシヤルパンチエ氏ニ別れ海辺ニ出で月をながめなどして帰り床に入りし時ハ十一時頃なりと覚ユ 今晩少シク雨

同日の「久米圭一郎日記」より
J’ai écrit une lettre pour le Japon numéro exceptionnel.

(和訳)八月二十六日 金曜日
日本へ号外の手紙を書く。

8/26 Vendredi