1901(明治34) 年3月11日


 三月十一日(続)
 伊太利の見物はいよいよ済だ 伊太利ではむづかしく云へば美術研究平らく云へバいゝ画などを見て歩いたのだ
 サテ是れからハ全く目的が別だ もう只呑気に風俗や景色を見て行く 困た事には路銀が残り少なに為つたから窮屈な事もあるだらうが併し其位の事ハ仕方がないとしなけれバならない
 伊と墺との国境の税関の調も無事に済んでボゼンに着いたのは九時二十五分だ アゝ今日は誠にひだるい思ひをした 昼飯はヴエニスのステーシヨンで買つた少し許の鶏の冷肉でパンをかぢりキヤンチ酒とチンチヤノの水でのどをしめしてごまかして置きヴエロナのステーシヨンで珈琲を一杯飲だ丈で夜の九時半までぶつこ抜は少々閉口した 今夜の宿屋はステーシヨン前の大きな家でホテル・ヴヰクトリヤといふのだ 同じ気車で来た米国の女連が七八人皆此処に泊る 其外三四人吾々までで都合十四五人の客が一緒に押懸けたから宿屋の亭主部屋の割付方に大騒をやつた しかし先づ仕合にいゝ部屋に入れて呉れて安心した ボーイに仏語のわかる奴が居て何の不都合もなし
 此処は山の中で随分寒い処と見へて窓にハ二重のガラス戸が有り又大きな部屋は入口の戸も二重に為つて居る ストーブは焼物を重ねて四角に造つてある このストーブは中々暖かいそうだが今夜は左程に寒くもないから火はたかず