本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年3月7日

 三月七日 木 朝雨 午後霽 (欧洲出張日記) 昨日までいゝ天気だつたのに今日は雨だ 昨夜は例の如く十二時過に床に這入つてそれから佐野から借りた大橋乙羽君著の『続千山万水』を読み一時過に為つて段々見て居る内に巻末に春山某の書いた九州旅行の案内文の有るのを見出した 見ると春山鶴峯としてある サテは郁次郎が書いたのかと気が着くと同時に吾少年時代の事から春山と去る二十七年の夏に鎌倉の雪の下で出遇ひ久し振に昔語などした事 それから二三年間時々逢つた事 其後又さつぱり見へなく為つた事など思ひ出しとうとう三時頃まで考へたり読だりして眠る事を忘れた 今朝は十時半頃から見物を始めてメヂシスの墓 ドナテロの作品の多いサン・ロレンソ寺及市庁を見再びイノサン寺に這入つた 此の寺にハ昨日も一寸這入つたけれども肝腎のサルトの壁画を見る事が出来なかつたから今日も這入つて見たのだ 左程面白いものでハなかつた 此処を出て美術学校附属の美術館に行きヅオモ寺の横手のケチな飯屋で昼飯を済ませ後ピツチ美術館 同庭園及カルミネ寺を見アリナリの写真見世に寄つて六時半頃に宿屋に帰つた 今日は午後に為つて雨が霽んだ丈は仕合だつた 此の頃の生活は朝は大抵九時か九時半に起きてそれから食事の間丈を除き夕方まで処々見物して歩き夜食後は部屋のストーブのまへで三人寄つて昼間に見たものの評をするやら友達にやる端書をかくやら又日記をつけるやらして十二時頃まで起て居りそれから床に入るのだ

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