本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年3月1日

 三月一日 金 シエナ (欧洲出張日記) 今日は照たり降たりのいやな天気だ 八時頃に起きて珈琲を飲むと直にサンタ・マリヤ寺を見る 此の寺は此のオルヴヰエト内で一番立派な建物で町の南端に在る 伊太利ゴチツク建築としてハ尤も注意す可きものだそうだ 此の寺ハ千三百年の始頃に工事に取りかゝり三百年間程かゝつて漸く出来したのだといふ事だ 白と黒の大理石でだんだらに積上げてある 前面の高い部分にはモザイツクが沢山使つてあり又低い部分にはバルリエフが附いて居る 其バルリエフも至て古いもので随分不恰好な人物もついて居るが面白いコンポジシヨンのもある 向つて右ハ地獄極楽 真中は耶蘇一代記 左は経典だ 堂内の窓の色が尤も面白い これハ薄いアルバアトル石がはめてあるのだ 画としての見物は右手のシヤツペルの天井と壁画だ 天井に二ケ処程アンゼリコがかいた処が有るが其他は皆シニヨレリの筆だ 古い人の事だから裸体人物の干物のやうな処が無いでハないが兎に角大作だ 左手の壁画の中にアンゼリコと自分の肖像がかき込である 寺の脇の横町の写真屋で今見て来た壁画の写真などを買つた 此の見世の神さん中々の愛嬌者で気持よく買物が出来た 宿屋に帰り荷ごしらへをしたが未だ昼めしまでに時間が有るから再び外へ出て城郭とも云ふ可き崖の上を廻つた 何れの方でもいゝ見晴らしだ 北の方にはポリアといふチーブル河に落る川がうねうねと流れて居る 西南の方には崖の下から引続いてオリヴヰエの林が有つて昔しの詩などにあるアルカヂーなどはこんなでハなからうかと思ハせるやうな景色だ 一時二十分発の気車に乗り込んで二時三十五分にキユーシという処で乗りかへて五時四十分にシエナに着いた 羅馬から此方へ来るに随ひ常盤木が少ない 常盤木としては杉のやうな箒形の黒い色の木が処々に見へる計だ 尤もオリヴヰエも常盤木であるが葉の色が白つぽい薄い緑色だから常盤木らしくハ見へない 此のシエナ近辺にハシエヌ樹も沢山見受た 不思議なのハ伊太利の松で日本の松とハ丸で大体の形が異つて居る 上に行て広がつて居る体裁は傘を開たやうだから此の松の林はもこもこして樫か何かゞ集まつて居るやうだ 下枝は皆払つて只上丈がのこしてある 此の松は此のシエナ附近にハ少ない 尤も多く見たのハゼノワとピザとの間だ シエナ辺は山が多い そうして村や何かは皆山の上に出来て居る 平地は耕してあるがうねの間に水の溜つて居るのを見れバ湿地に違ない キユシの近所に可也大きな水溜りが有る キユシではマラリヤ熱がよく流行すると云ふ事だがつまり湿けるからだろう 山や岡の上に四角なやうな家があつて其脇に例の箒形の黒い杉が五六本も立並んで居る景色などはよく古画に有る図柄だ 矢張伊太利の画を解するにハ伊太利の地に来なけれバいけない シエナではヴヰア・カブールといふ此処の銀座通とでも云ふ可き処にあるホテル・ド・アキラネラに泊ることと為つた 夜食後少しく市中を散歩した

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