本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年3月14日

 三月十四日 木 晴 ウルツブルヒ (欧洲出張日記) 今日も天気がいゝ ヴエニスに居る時にこう云ふ日が一日あつたならバさぞ愉快であつたらうにと思ふヨ 市中を廻る電鉄を利用して古画の陳列館と新画の陳列館とを見に行た 此の二つの建物は広いゆつくりとした場所に往来を中にして隣り合つて居る 又此処でハ伊太利と異つて入場料を取らない いづれも陳列の仕方は整頓して居る 古画の方などハ国分けに為つて居て見易い アルベール・ヂユレールの画など中々いゝのが有る 外国のものではフランドル派 オランダ派等のものが多い 就中フランドルのリユベンスの画などはよく集めたものだ 肖像などの実に達者にかいて有るのなどを見た 原田君はこんな画に対してハどんな考を持つて居つたか知らん 新らしい方の画は実に沢山陳列してある 去年の巴里の博覧会に出品してあつた画もあつた 宿屋に帰つてヂネーを済ませ四時五分の汽車に乗つてウルツブルヒに向ふ 途中右側に極静な小さき流などあつて気持のいゝ景色の処あり 夕方に為つて川のふちにある小さい古びた村に霞がかゝつて人家から白い煙が立ちのぼる姿はいかにも民のかまどハ賑にけりだ 八時二十五分にウルツブルヒに着く 宿屋をホテル・スウヰンと極めて出迎の馬車に乗る 此時此の同じ馬車に乗込んだ年の頃三十四五の髯の生へた立派な男子不図話し掛けると此男ハ仏人でボルドウの酒屋で商用の為めに此処に来たのだ 此のウルツブルヒには数年前独逸語の稽古の為めに来て居て今夜泊る事としたホテル・スウヰンに一ケ年間滞在して居たそうだ 又段々話に蔓が出て東京の仏国公使館のアンドレ氏の妻に為つた婦人は此の人の妻の友達だなど話をした アンドレ氏は私もよく知つて居ると云つたらアヽどうも世界は狭いものですねと云ふ事であつた 此人と一緒に宿屋に這入つて万事都合よし 又宿屋の主人もボーイもどうやらこうやら仏語を解するので不自由はない こんな片田舎でさへ仏語を解する奴が居るのだからもう大抵な処でハさしたる難儀はあるまいと思ハれる 部屋の窓は川の方へ向ひて附いて居る 外の景色は暗くして分らないが向岸の瓦斯灯のあかりが水にうつつてきれいだ 今夜は寝床に流の音が聞えて愉快だ これで千鳥の声さへすれバ木屋町に泊つて居るのと同じだ

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