1901(明治34) 年4月1日
四月一日 月 雨 (欧洲出張日記) 午後佐と銀行 Lombard 氏方 公使館等へ行く 荷造屋来 夜 Gaillard 方めしの最中佐も荷造 夜一時頃から酒をのむ
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
四月一日 月 雨 (欧洲出張日記) 午後佐と銀行 Lombard 氏方 公使館等へ行く 荷造屋来 夜 Gaillard 方めしの最中佐も荷造 夜一時頃から酒をのむ
四月二日 火 晴 (欧洲出張日記) Lombard 氏来 同氏並コラン氏 Bantilett 等と一緒にめし 夜食後九時の気車でカレーを経ロンドンへ行 Vosper の□□(原文不明) 午後荷三個出す
四月三日 水 雨 (欧洲出張日記) 朝六時頃ロンドン着 Victoria Hotel へ行 ナシヨナルGallery を見 午後亦ナシヨナル・ガルリを見 高田商会 領事館へ行く 途中にて松方氏に出逢つた 是より先領事館を出久米に別れ□□(原文不明) 松方氏と道具屋を二三軒冷かし公使館に行 佐ハ帰りオレは松氏と同氏の宅ニ行 又荒川氏を訪 夜十一時半帰
四月四日 木 晴 (欧洲出張日記) 朝ブリチシユ・ミユゼアムを見 同処にて食事 後サウスケンシントン美術館を見る 此処を出てからウエストミンスタア・アベ タワ・オフ・ロンドン ロンドン・ブリヂ等を見る 夜九時に立つ
四月五日 金 雨 (欧洲出張日記) 七時前巴里着 荷造 中丸君と煙草屋でめし 後ボンマルシエ クレヂリヨネ ロンバール氏 公使館等へ行
四月六日 土 雨 (欧洲出張日記) 久米等とカブランコ指環屋へ行 ヂユウエでめし セスコント銀行 ソシエテ・ゼネラル 公使館 ベネゼク・荷造屋へ行 又コラン先生へ暇乞 午後九時五分巴里発
四月七日 日 時々夜霧 マルセイユ (欧洲出張日記) 九時半マルセイユ着 直に船へ行く 林氏の案内でコルシカにて昼飯 午後五時半出帆 船名ラオス 六千頓 吾々三人の外上等に林氏下等に鈴木□(原文不明)一氏あり
四月八日 月 朝晴レ後曇 (欧洲出張日記) 朝めし後髪をつむ 十一時頃コルシカとサルデニエの間を過ぐ 海上波穏にして平地を行くが如しだ
四月九日 火 晴 (欧洲出張日記) 八時半頃左手に遠くシシルの山々が朝霞に裾をかくして見へる 十時の食事の時が丁度メシヌの瀬戸であつた 本日午後六時頃十七度也
四月十日 水 晴 (欧洲出張日記) 午後の三四時頃にクレト島を左に見て通つた 来る時と違つて遠くはなれて通つたから人家などハ見へない
四月十一日 木 晴 (欧洲出張日記) 朝風呂に入る 午後巴里 龍動 武列悉 伯林 羅馬等への手紙をかく
四月十二日 金 晴 ポルトサイド (欧洲出張日記) 五時半ポルトサイド着 七時半頃上陸 市中見物 写真を二三枚写す 九時半頃帰船 十一時半出帆 カナルにかゝる 七時イマイリヤ湖に入 五時半スエズに着く 今夜カナルの両岸に虫の声聞ゆ 二十一度也
四月十三日 土 晴 スエズ (欧洲出張日記) 七時頃スエズを発す 思の外涼し 寒暖計十八度なり 午後少しく暖くなる 四時頃二十三度也 夜十一時頃二十五度 今夜林 久米と三時頃まで甲板で話す 月波に映て見事也
四月十四日 日 晴 (欧洲出張日記) 昨晩暮方にスエズ湾をはなれて紅海に入る 今朝九時半頃に起きた いよいよ熱帯らしき気候に為つてきた 寒暖計二十七度 夜林氏の医術談有り
四月十五日 月 晴 (欧洲出張日記) 今日白衣に被更ゆ 風あり 白波見ゆ 然し船はあまり動揺せず 正午暑さ二十九度也 夜林氏と忠実の説等を聴く
四月十六日 火 晴 (欧洲出張日記) 朝少しく曇 風有り涼し 海の様子ハ昨日に異ならず 温度も昨日に同じ 終日処々に島を見る 行違ふ船もなし
四月十七日 水 晴 ヂブウチ (欧洲出張日記) 朝四時ヂブウチ着 六時四十五分はしけに乗込上陸 市場ナド見物 九時頃帰船 二時頃ヂブウチ港解䌫 正午二十九度半 夕方風あり至て涼し
四月十八日 木 晴 (欧洲出張日記) 風あり割合に涼し 正午寒暖計二十八度也 夜仏領東京行の建築師モリス氏と長く話す 今日限にて当分煙草をやむ
四月十九日 金 晴 (欧洲出張日記) 朝少しく横揺 八時半頃スコトラ島を左手に見る 寒暖計正午二十八度 四時頃に二十九度となる 海面ドロリとなつてる 飛魚飛ぶ 群をなして飛ぶ事雀の如し 夜林氏に一二の商業家に就ての話をきく 又和洋の占の話あり
四月二十日 土 半晴 (欧洲出張日記) 正午寒暖計二十九度 風少なく暑し 午後曇 夕刻より風も増して涼し 夕空見事也 夜林氏青年時代の話よりオンタリテの著述に志せし事などの話ありたり