本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年3月9日

 三月九日 土 雨 ヴエニーズ (欧洲出張日記) ヴエニーズと云ふ処は奇妙な処で先づ島だ 其島にハ殆んど地べたと云ふものが無くて家のかたまりで出来て居る島だ 此のヴエニーズ島は小別すれバ百二十二の小さな島だが大別すれバ三ツの島だ 此の切れ切れの島を三百五十の橋で繋いで居る そうして此の島の全体は鉄道用の石橋で伊太利の大陸につながつて居るのだ 人口は十五万余も有つてなかなか盛んな処だ 此の人口の四分の一は貧民だといふ事だがナアープルなどに比すれバ一文下さいを業として居る者ハ至て少ないやうに感じる 人気も一体に悪くはないやうだ 住ふのにハいゝ処に違ない 第一車が無いので夜は誠に静かで寝心地などは申分はない 吾々の宿屋のある処は島の南の浜辺でスキヤウオニといふ処だ 浜といふと砂原か石原かのやうに感ずるけれども此処の浜は至て立派なものでキチンと石が敷きつめてある 此のスキヤウオニという処が尤も立派に出来て居る 宿屋を出て西の方へ浜伝ひに行くと美しい石橋が二つある それを二ツとも渡ると右手のトラベルタンの丸い柱の立つて居る四角な立派な家がパレ・ヂユカルで其角を右に曲れバ直其処に右手にぐじぐじした土耳古的装飾の大きな寺が有る これがサン・マルコ寺だ 又左手に四角な高い鐘楼が有る 此の辺にハ丁度浅草の観音堂のやうに鳩が群がつて飛廻ハつて居る サン・マルコ寺の前に鐘楼と並んで旗竿が三本立つて居る これはヴエニス市が独立の共和政治で有つた時分に共和国の旗を立てゝ居つたもので今は祭日などに伊太利の国旗を立てる 今日は先づサン・マルコ寺を見に行た 此の寺は壁や天井総てモザイツクで装飾して有 大抵皆絵の地にハ金色ガラスを用て居るから実ぎらぎらして立派だ お寺にハ持て来いの装飾だ 羅馬のお寺にも随分モザイツクが使つてあるが此寺程にモザイツク固め処は無い 十一世紀に此寺の装飾をやらせる為めに希臘からモザイツク師を呼び寄せて仕事をさせたものだそうだ つまり此のヴエニーズの画派の天祖とも云ふべきものハ是等のモザイツク師であらう 堂の前飾に為つて居る四つの赤銅の馬はネロン時代の作で一度巴里までも持て行かれた 寺の前は大きな長方形の立派に敷石のしてある明地で丁度巴里のパレ・ロワイヤルと云ふ体裁で囲にハ写真 土産物等外国人向の色々な見世が並んで居る 仏語英語等にて客を引く サン・マルコ寺に這入らうとしたら案内者が附いて来てうるさくてたまらずとうとう寺中案内して一仏といふ事で雇つた 寺の見物が済むと此処の近所にモザイツクを作る家があるから其処に案内すると云ふから其跡について行くと右の方へ曲り小さい橋を一つ渡ると女の職人が四五人で下らない土産物向の俗極まつたガラスのモザイツクやつて居る処に這入つた サアそうすると番頭の様な奴が前のお寺の案内者と代つて此つちへと云て案内する ナーンダ馬鹿々々しい 此処は外国人向の品物を売る家で寺の案内者などが此の家に客を引張り込めバ必ず何がしか頂けるやうな事に為つて居るに違ないのだ 又此の家に一度這入込だ日にハこれがいやだと云へバあれハどうだと云ひどうにかして何か売着けやうとして外へハ出さない 此家で売て居る品物と云つたら木彫の椅子 机類 大理石の人形 ガラスのコップ 皿の類 モザイクの安いピンや指環品々 それから黒ん坊の人形に金や赤い色の裸をさせた置物等でいづれもいやらしいもの計さ 久米や佐野がモザイツクのピンを買つたので漸く外に出る事が出来た 少し町を歩いて宿屋に帰つて昼飯を食ひ直に出る 今度は宿屋を出て西へ一番目の小さい橋を渡ると左手の岸に汽船の舟着場が有る 其処で其船に乗り込む 此の船は全く東京の一銭蒸気で此のヴエニスをS字形に切つて居る一番幅の広い水の処を通つて居るもので一人前二銭銅貨一枚だ 丁度美術館の前に船を寄せるから其処で下りて美術館に入る 一人前一仏 日曜ハ只だ そうして平日は十時から三時まで見せて日曜は十時から二時まで 小さな処だが今日は時間が少なく半分程見るともう三時だと番人に注意されてあとの室は馳け通りに見た 其能く見なかつた部分にマンスエチ ゼンチレ・ベリニ カルパチヨ等の作が有つた カナル・グランデ即ち大堀とでも云ふ可き川蒸気の通る処は此処の大通りで立派な建物は大抵皆此の堀のふちにあつて表口は皆堀の方を向ひて居る 古い建築で一寸名の有るもの丈でも大堀の左右の岸に百五十余も有ると云ふ事だ 大抵は皆ヲジヴ式のものだ 美術館の前から又汽船に乗りステーシヨンのそばまで行きそれから市中の細い道をあつちこつちと廻ハつて東京の日影町と云ふやうな賑かな通りで久米と佐野が髯をそらせた オレはシヤボン入を一つ買つた 又アリナリの出見世で写真を買つた 此処の往来は随分狭いものだ 今日見た内で一番見世の立派な人通りの多い通りでも傘をさした者が二人行違ふ時は傘が突き懸る ヴエニスで感心なのハ美人の多いのだ 先づ今度見た伊太利の諸市の内で一等だ シエナなどは兎ても兎ても 此処の女は帽子を冠らず広いシヨールの茶や鼠のを巻き付けて居る 又雨をよける為めか顔丈出して頭から掛けて居るのもある 一寸タナグラ人形と云ふ姿で悪くない 又此処の人間は割合に吾々を見て驚かない 随つて支那人とやられる事も少ない 七時頃に宿屋へ帰つた 今日は終日雨で閉口した しかし車の丸つきり無い処だから泥をはねかされる事もなく馬をよける世話も入らず気楽に散歩が出来る 部屋に火をたいて話をした 久米は早く寝て佐野と二人で珈琲や鉱泉を取り寄せて十二時過まで起て居た

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