1896(明治29) 年11月23日
十一月二十三日 月 (京都日記) 六時半ニ京都ニ着いた 天気が悪い 七時一寸過ニ木屋町の生庄と云処ニ宿をした 朝めしをやつてゐる処ニ中村が来堀江が来た 皆で堀江の新聞社ニ出かけた それから安 佐 中と四人で松葉亭で昼めしを食ひ四条から建仁寺町松原通を東へ高台寺下ニ出知恩院の中をぬけ粟田口から三条通へ廻つて帰つた 夜食後宿屋からの手引で縄手の吉松とか云茶屋ニ行き十二時頃まで居た 三代子の面も見へた 全体今夜の出来ハ至極悪し
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
十一月二十三日 月 (京都日記) 六時半ニ京都ニ着いた 天気が悪い 七時一寸過ニ木屋町の生庄と云処ニ宿をした 朝めしをやつてゐる処ニ中村が来堀江が来た 皆で堀江の新聞社ニ出かけた それから安 佐 中と四人で松葉亭で昼めしを食ひ四条から建仁寺町松原通を東へ高台寺下ニ出知恩院の中をぬけ粟田口から三条通へ廻つて帰つた 夜食後宿屋からの手引で縄手の吉松とか云茶屋ニ行き十二時頃まで居た 三代子の面も見へた 全体今夜の出来ハ至極悪し
十一月二十四日 火(京都日記) 九時ニ起きたら安藤ハ堀江と話をして居た 今日ハ天気もいゝ 木屋町の住ハ格別也 北本氏ニ父上ヨリの届けものをとゞけさせ十一時前より佐野と中村の内へ行つた 間も無く安藤もやつて来た 安藤 佐野 中村 大八木と五人連で四条通の古道具屋を冷かし一時頃ニ宿屋ニ帰り皆でめしを食ひ三時頃から又皆揃つて渋谷ニ車で出かけた オレハ今度の旅の目的の清閑寺の景色をはじめた 暗くなつたのでやめた 大八木ハ途中で帰つた オレ等四人ハ晩めし 九時頃まで内で話しそれから散歩がてらニ祇園町のバンブウと名けた内ニ行た 非常ニまづい面が一つ出たので大笑した 十二時前ニ内へ帰つた
十一月二十五日 水 (京都日記) 朝佐野が写真の薬を買ニ行き安藤が反物屋ニ行く序ニオレも一緒ニ出かけて合田の注文の半襟を買て行た 一時頃ニ内ニ帰つたら中村が来て居た めし後ニ四人連で清水ニ行き暗くなるまで勉強 それから中村屋ニ行た 今日ハ堀江の京都新聞の開業の祝で御馳走だ 早々引上げて四条のかきめし屋でめしを食た 中村ハ非常ニ酔てめしハ食べず此処から車ニのせて返しオレなんか三人ハ四条通や縄手を散歩して内へ帰り十二時頃まで馬鹿を云て起て居た
十一月二十六日 木 (京都日記) 今日ハ雨で一寸困つた 十一時前ニ堀江が来てそれから中村が来た 皆そろつて島原行としやれた 大ニあばれてやつたのでとうとう舞子が一人大声でなき出した 夜食後宿屋に帰り十一時頃まで堀江が話して行た 中村も堀江が帰つてから後まだしばらく内ニ居た
十一月二十七日 金 (京都日記) 今日も天気がよくない 時々雨が少しづゝ降つて来た 十時頃から下鴨の池ニ散歩ニ出かけ石をひろつたり又買たりして一時前ニ帰つた 中村が来て食事後ニ四人連で又清水ニ写生ニ行き暗くなるまでやつた 宿屋で夜食を食ひ四人で京極から四条通をぶら付き小堀の西洋料理屋でラムネをのみそれから尾張楼へ上る 玉葉ニ逢つた 内へ帰り寝床ニ這入つたのハ一時半頃
十一月二十八日 土 (京都日記) 昼めしを中村 安藤 佐野の四人で先斗町の鳥屋でやらかしそれから清水ニ行た 晩めしニ内へ帰つたら岡田がやつて来た 五人連で吉松ニ行て十二時頃まで居た
十一月二十九日 日 曇 (京都日記) 阿古屋茶屋で四人でめし(安 佐 岡にオレ) 皆ハ清水ニ行たけれどオレハ此の茶屋ニ居て速記録を直した 昼めしニ皆がやつて来たのは一時半頃だつた 四時頃ニ一寸清水ニ行きそれから少々計画をやつた 全体今日ハ西園寺侯への洋行一件の問合せ方で終日安心せずニ暮した 今夜ハ四人連でバンブーを攻撃した 明日西園寺侯見送の為ニ神戸ニ行く事ニ極めた 中村も一緒ニ行くと云ので今夜奴ハ宿屋ニ来て泊る
十一月三十日 月 雨 (京都日記) 朝車でかけて行たが一番汽車の五時二十五分ニ乗り後れ菊岡で朝めしを食ひ六時四十二分ニ乗つた 大阪で一時間半程待たされ又水害で歩いて通る処などが有つて十一時半頃神戸に着いた サラジ号ハもう着いて居た 昼めしを西村でやらかし西常盤ニ行て西園寺侯ニ逢つた 住友吉左衛門氏ニモ逢つた 三時四十分かの汽車で京都へ帰つた 着いたのハ七時頃 めし後中村ハ帰つた 皆で今夜ハ万亭ニ出かけた 此処ニ一泊 皆ハ雑魚寝の刑ニ処せられた オレ丈ハたすかつた
十二月一日 火 晴 (京都日記) 万亭でめしを食ひ十一時頃ニ出かけ佐野と二人で古道具屋など冷かし円山を廻つて清水ニ行た 安藤ハ万亭から一寸内へ帰つたがもう来てかいて居た 今日ハ清水の谷で新規ニ一枚始めてかいて仕舞つた 今日ハ中村ハ見へず 夜食後安藤と中村をたづねたが鍵をかけて寝て仕舞つて居た それから二人で京極から四条ニ出祇園迄行き縄手通から内へ帰つた 途中髪さしを京極で買ひ生道具見世 唐物見世等をすつかり見て歩いた
十二月二日 水 (京都日記) 朝十一時頃から佐野と中村をたづねたが居らず 二人連で襟屋ニ行た 内へ帰つたら中村も来て居た めし後四人連で三本木の堀江の処ニ行た 佐野が暇乞ニ行たのだ 岡田ハ一人で大仏見物ニ出かけた 堀江の処から帰りがけニ寺町の道具屋など冷かし散歩して内へ帰りめしを食た 岡田ハ未だ帰らず 又四人連で万亭を攻撃した 十時半頃ニ岡田がやつて来た 間もなく切り上げバンブーを攻撃す 甚だ不充分ながら出品ハ有つたが時間が遅くなると不利だと云説が起り十二時前ニ一同断然背進す
十二月三日 木 曇 (京都日記) 佐野ハ今夜の一番で東京へ帰つた 十時頃ニ起き岡田と美術工芸学校を見ニ行た 途中郵便局ニ寄り合田からよこした為替を受取つて来た 昼めし後安 中 岡と四人で四条の古道具屋を冷かし仏像を三体手ニ入れた 夜中村が来ないから尋たら留守 三人連で京極から宮川町 せだ裏など散歩して十時半頃ニ内へ帰つた
十二月四日 金 (京都日記) 今朝十一時頃ニ岡田が奈良へ立つ 奴ニ別れてオレハ安藤と石ヲ買に行た 中村ニ手紙をやつたら直ニ来た 三人でめしを食ひオレハ中村と車で清水ニ出かけた 安藤ハ客が有つて内ニのこつた 出る時から雨が降つて来たので仕事ニかゝれず清水寺の中や後の森の中など散歩した 四時前ニ霽れたから清閑寺ニ行て御陵の門の辺をかいた 暗くなつて仕事をやめた 今日ハ二村と云御陵の役人ニ逢つた 夜食後九時頃から中 安二人と京極 祇園町等を散歩 それから中村も内へ来て十二時迄話した
十二月五日 土 (京都日記) 今朝起て見たら如意獄ニ雪が積て居た 北の方ハ雲ニかくれて見へず 比叡の雪ハ一層だろう 市中ハ雨だ 雨ハ朝の内丈で晴れたから十一時頃から安 中と一緒ニ出かけ蔵八を始銅器の見世や古道具屋を処々冷かし二時頃ニ寺町の松原でそばを食ひ三時過から方針を島原ニ取つた 例の角屋の古代座敷で至極まづい面の芸妓三人を並べて鳥なべを食ひ八時頃まで居て帰る 京極から祇園町を散歩して宿屋ニ帰つたのハ九時過だつた バンブーニも一寸腰をかけた 杉へ手紙の返事を出す
十二月六日 日 (京都日記) 今日ハいゝ天気だ 中々寒い 九時比ニ起て昨日母上から来たお手紙の返事をかいた 安は下加茂ニかきに行た 散歩がてら安のかいて居る処を見に行き一緒ニ帰つて来て昼めし 午後例の如く中 安と三人で清水へ出かけた 今日御陵の下画をかいて仕舞つた めしハ翁亭で牛なべ 夜ハ川端の大勝と云茶屋ニ行てねころんだ 出品甚だ悪し 其代りニ一枚半の散財 今日ハ座敷を貸して呉れないかと云事を宿屋から云ひ出し一寸心地悪い次第ニ為つたがマアマア無事におさまつた
十二月七日 月 (京都日記) 今日ハ佐野 小代 菊地の連合の手紙 和田 山本などよりの手紙が届いた 昼迄ハ何処ニも出ず 昼めしを三人で食て出町橋ニ近い方へかきニ出た 曇天気で余り面白くなかつたから四時頃ニ皆揃つて内へ帰つた これからめしと云処ニ大勢の仲居お春が攻めかけて来た 払をしておつぱらひバンブウへ行た しばらくすると火事だと云ので飛出して行て見ると中村の家より二町程先きの時計の会社か何かだと云話 中村ハ其儘内へ止まりオレハバンブー引かへした 安と二時頃ニ内へ帰る 湯ニ入り一時過ニねる
十二月八日 火 (京都日記) 十一時頃ニ堀江が来た 安藤ハ一寸出たが昼めしニハ皆一緒だつた(堀江 中村 安藤とオレ) めし後ニ堀江ハ帰り例の三人で二時頃から出町の方ニ出かけた 一時間やるかやらぬ内ニ雨が来てやめニして帰る 帰つたら相良八重と云名前で手紙が一通来た 不思議 甚だ気ニなる 夜又三人で京橋をぶら付きお春さん方ニ出逢ふ 又かんざしを買った 四条通から膳所裏を通り内へ帰りそれから三人で東京ニ送る狂歌を沢山こしらへ十二時ニなる
十二月九日 水 (京都日記) マー天気ハ悪くない方 安ハ買物ニかけ廻り序ニ清水ニ行て画を持て来てくれた オレハ中村と出町の画をかきニ行た 内へ帰つて居たら水野正英と云人が来た 安ハ僧二人のお客と出かけた 食後オレハ中村と京極から四条を散歩し大和屋ニ安藤をたづねた 一寸上つて見たが甚だ不景気 十一時頃ニ内へ帰り十二時頃まで中村が話した
十二月十日 木 曇 (京都日記) 今日が京都滞在の最後の日だ 昼頃ニ堀江が来て博覧会ニ付ての議論の話をした 中村もやつて来た 今日ハ十一時頃ニ朝めしを食たので昼めしハぬきニした 二時頃から出町の写生ニ出かけ夕方までやつた 堀江が来て四人連で京都ホテルで別れのめしを食た それから安とバンブーの払ニ行き又尾張楼で堀 中と合す 玉葉丈来た 九時頃ニ切り上げ吉松ニ行く 別ニ二つ計下らぬ出品 十一時過ニ逐立てを食ひ玉葉同道内へ帰る
十二月十一日 金 (京都日記) 二時半頃まで酒肴でさわぎ堀江ハ帰り中村ハのこつて皆で雑魚寝 六時頃ニ起きて出立の用意 七時何分かの急行列車で帰る 途中安藤と暗くなる迄狂歌や発句で少しも退屈せず 十一時半頃東京へ着た 内へ帰つて二階ニねた 内の混雑のざまハ丸で戦争後だ
十二月十二日 土 十一時過ニ学校ニ出て新築の教場等を一と通り見廻り久米 和田 藤島と一緒に神田の宝亭で昼めし それより一寸内へ帰り四時の四谷の汽車ニ乗り久米と奴の目黒の別荘ニ行く 此処ニ小代 岩村 菊地 和田等が集り豚の汁を食ひ目黒の不動の辺まで散歩し茶屋をたゝき起して這入込みなどした 皆で久米の別荘ニ雑魚寝 二時頃ニねた