本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年11月3日

 十一月三日 火 六時前ニ起された Mais il était déjà trop tard pour premier train. Sano et moi, nous sommes partis par le train de 7h 40m. 大宮ハ中々ニいゝ処だ あとのものハ九時の汽車でやつて来た 昼過ニ久米が来た 其時ハ皆と一と廻りして来た時だつた 三時過から又皆揃つて川の方へ散歩に出た 道々草花など取つて愉快 松友館ニ帰つて晩めしを食つて久米ハ六時何十分かの汽車で立つた 残つたものハ皆ねて仕舞つた オレハ一人ポカンと淋みし 八時四十分かの汽車で東京へ帰る

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