1896(明治29) 年12月25日


 十二月二十五日 金
 朝世界の日本からと云て石版屋の岡本とか云人が来た 夫れから和田 藤島 丹羽 小林 白瀧 湯浅が来た 和田 藤島の二人を昼めしに引とめた 皆が帰つてから明日の旅の用意など少しづゝ始めた 月の払の事やら名刺くバリの事やら…平岡□(原文不明)太郎氏の処ニ使をやつたり… 夜食後マヽンと天神の市ニ出かけた 中々盛だ 子供の時の事を思ひ出した 五丁目の市もにぎやかだ 帰りがけに新二郎の内ニ寄り九時頃まで居た 内へ帰つて荷造の仕度をした 又中村へやる手紙をかき十二時頃ニねる