本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年12月28日

 十二月二十八日 月 (房総旅行記) 朝九時過ニ高砂屋を立ち十一時頃ニ一つ松と云処ニ来て冷酒の立食をした 此の酒を飲だ家ハよしづ張のにうりやの一軒屋だ 白首二つ計見へた これが此の辺で云達磨と云女郎だそうだ 五十以上の爺が此の茶見世ニ居たがこいつが此の二人の女を連れて来て大ニ散財をして居る処だつたと見へる 此の二人の女ハ此の先きの常盤屋と云料理屋の女だそうだ 此の辺の料理屋ハ墓場の茶屋の様な体裁だ 一の宮ニ十二時前ニ着いて倶楽部と云ふ大きな宿屋ニ寄りお中食と相成る 此の宿屋ニハ東京から出稼ぎの下女が二三人居た 其内の一人ハお京と云者だつた 此処で乗合馬車を一台二円で借切りニして二時ニ大原を指して出かけた 四時半頃ニ大原ニついたがいやはや此の間の道の悪さ加減ハ非常なもんだつた 竹屋と云宿屋ニ荷物を置き馬車の別当の案内で小浜の八幡へ行た 小浜と云処ハ一寸画ニなりそうな処だからしばらく大原ニ居る事ニきめ宿屋ニ帰り風呂ニ入りめしを食ひ手紙をかき狂歌をやらかし花がるたを取りなどして十二時前ニねる 今日馬車で上総山とか云処の前を通つた時馬丁があの松が名高い三階松です 又あれが二葉の松ですと云て見せた 三階松と云のハ此間の風で折れたと云て真中から折れて上の方ハ土手の下にぶら下つて水ニつかつて居た

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