1896(明治29) 年12月19日
十二月十九日 土 曇 朝磯谷がオレの画の売れた代二百三十円を持て来た 又大牟礼が来つゞいて報知の坂井氏が来た 午後処々へ出す手紙をかき四時頃から出かけ麻布の渡邊環氏を訪たるニ留守 それより小代の処ニ行く 二人で八百勘でめしを食つた 風呂ニ入る積だつたニあてがはづれた 司令部を溜池ニ置き開展ニ力を盡し捕虜有り 敵の戦闘力約七千 我軍錦糸城を破りこれを占領す
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
十二月十九日 土 曇 朝磯谷がオレの画の売れた代二百三十円を持て来た 又大牟礼が来つゞいて報知の坂井氏が来た 午後処々へ出す手紙をかき四時頃から出かけ麻布の渡邊環氏を訪たるニ留守 それより小代の処ニ行く 二人で八百勘でめしを食つた 風呂ニ入る積だつたニあてがはづれた 司令部を溜池ニ置き開展ニ力を盡し捕虜有り 敵の戦闘力約七千 我軍錦糸城を破りこれを占領す