1896(明治29) 年2月5日


 二月五日 水 (京都日記)
 中村の発議で三人揃つて温泉ニ行き帰つて来て昼めしを兼た朝めしを三人で食ハんとして居る処ニ大阪の天囚氏が来た 此の人ハ去年博覧会時代ニ松岡等が泊つて居た柊屋の支店で逢つたが話をしたのハ今日が始めてだ 一時頃から三人連で散歩ニ出掛ケた 今日ハ何処か田舍ニ行て見度いと云考で先づ清閑寺ニ行き恩順氏ニ逢ヒ渋谷ニ下り峠を越して見ると山科の山々ニ雪が見へたので其方へ向つて下る事と為る 来て見れバ日も暖かく春の様で梅のつぼみも余程大きく為つて居る 途中で京都へ帰ると云人が京への近道を案内すると云のでたまらぬと思ひ其人が一寸或る家ニ這入つた間ニ横道のはたけの中ニいそいで這入る 遍□(原文不明)僧正の墓を見たのハ其おかげだ 山科の町へ出る前ニ雨がポツポツやつて来た 何分ニも腹がへつたから奴茶屋と云ニ立寄りうるめを焼かせたりして酒を飲み又茶漬をやらかす 此処を出たら雨が益強く為つた 仕方なく六体地蔵の茶見世ニ這入つて一ツ五りんのだ菓子をくつたりして暫時雨宿をした 夫れから大憤発で雨も構ハズ小関越を通り大津へ出た時ニハ夜が入りかゝつて来た 小関越ニハ雪が一ぱい積んで居た 大津の石場で一杯一銭の黒砂糖の汁粉を食て休息 ステーシヨン前の茶見世で一時間程待ち八時半の気車で京都へ帰る